(写真:朝鮮日報日本語版)
「米国産牛肉の輸入額が1兆ウォン(現在のレートで約1100億円。以下同じ)を超えたという記事を見て当惑しましたよ。振り返ってみれば、狂牛病デモを準備していたとき、狂牛病が本当にファクトなのかどうかを巡って会議を開いたことは一度もなかったように思います」
【写真】2008年の狂牛病暴力集会…警察に向けて放水するデモ隊
ソウル大学人文学部学生会長出身で、利敵団体「祖国統一汎(はん)民族連合(汎民連)」南側本部事務処長を10年務めたミン・ギョンウ代案連帯代表は6月26日、インタビューで「昔をじっくり振り返って反省している」と語った。ミン氏は2007年から08年にかけて韓米自由貿易協定(FTA)汎国民運動本部政策チーム長を務め、狂牛病(牛海綿状脳症・BSE)問題の扇動の最前線にいた。
ミン代表は、当時を回想しつつ「狂牛病について、ファクトについて会議を開いたことはない。李明博(イ・ミョンバク)政権退陣にどう使えるかという次元でのみ話をやりとりしていた」と語った。最初から、目的は「李明博退陣」だったという告白だ。続いて「政務的判断が専門家の判断より優位にあるという世界観を持っているのが学生運動出身者」だとし「だから専門家に何かを尋ねてみるという考えそのものがなかった」と語った。
当時の韓米FTA汎国民運動本部は、「反米」を接点に、進歩連帯と参与連帯が主軸となった組織だ。ミン代表は「進歩連帯は、いわゆる主思(主体思想)派または民衆運動組織の連合体で、参与連帯は左派市民団体を代表して入ってきた」とし「両者が合わさったのだから、あらゆる進歩(革新)勢力、特に386(1990年代当時30代で、80年代に大学へ通った、60年代生まれ)は全て集まったと見ていい」と語った。当時は進歩派の盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が没落し、李明博大統領がちょうど就任したばかりの時期だったので、これに対する敵意が非常に強かったという。
スパイ容疑をかけられて監獄にまで行ったミン氏は、狂牛病デモの後、疑念を感じて運動から手を引いた。韓米FTA運動本部政策チーム長を務める中で経済報告書へ熱心に目を通したことが、むしろ極端な左派陣営に対する疑念ばかりを呼び起こしたという。ミン代表は「サムスン経済研究所の報告書を見たら、サムスン電子の営業利益が日本の半導体企業の営業利益を全て合わせたものよりも大きいという。その結果に触れて大きな衝撃を受けた」とし「それ以前は、単に買弁資本(外国資本に従属する資本家)としか思っていなかった。自分の知っていた世界にひびが入った」と語った。