メリー喜多川(享年93)がまだ生きていたら、ジャニーズ事務所の歴史は違っていたのかもしれません。彼女は弟の「病」について早くから知っていました。それは、アイドルになる少年たちを見い出す特別な才能と結びついていました。しかし、メリーはその事実を隠し続け、ジャニーが少年たちに加害を繰り返すのを見て見ぬふりをしようと心に決めました。姉弟の特別な絆が、すべての始まりでした。
メリーの思惑とは?
メリーは「週刊現代」の取材に対して、「ジャニー喜多川さんにはスターになる素質を見分ける特別な力がある」と語りましたが、その直後に怒りを露わにしました。彼女はドアを閉め、記者を睨みつけながら「私がここで脱いで警察を呼べばどうなると思う?」と言ったのです。これは1981年の出来事でした。
ジャニーが見出した少年たちは次々に日本を代表する人気アイドルになり、ジャニーズ事務所は帝国と呼ばれるまでに成長しました。しかし、メリーの心は晴れませんでした。彼女が心に描いたのは、この国の主要メディアを支配することでした。テレビ、出版、スポーツ新聞などは、彼らがジャニー喜多川が少年たちに性的な被害を与えているのを見ても、見て見ぬふりをしていたに違いありません。新聞は事件が報道されない限りは事実を書かないので、問題を無視することができました。
ジャニーズ事務所崩壊の危機とメリーの対応
ジュリーが会見を欠席した際、メリーからの手紙を代読したのは井ノ原快彦でした。その手紙には以下のような文が含まれていました。
「ジャニーが文春を訴えた時には私たちから騒ぎ出すことはありませんでした。ジャニーは無実であり、最後まで無実だと言い切っているのです。負けたのは弁護士のせいです」
メリーは娘にも弟の病について話さなかったかもしれません。彼女は弟を守るために、自身も鉄の鎧を身にまとって生きてきたのです。そして、弟のジャニーが亡くなった時に心の底からホッとしたのではないでしょうか。
メリーの対応に変化の兆し
週刊朝日の表紙には「追悼ジャニーさん、ありがとう! YOU、やっちゃいなよ」と大書されていました。メリーにとって、ジャニーは最高のプロデューサーであり、ずっとその名が残る存在だったのでしょう。英国のBBCがジャニーの性的加害問題についてドキュメンタリーを制作し、元ジャニーズの人々が実名で加害を告白しても、メリーは無視し、動じることはなかっただろうと想像されます。
しかし、最近では新聞もこの問題を取り上げ、ジャニーズのメンバーを使用しない企業が次々と現れ、NHKですら紅白に出演しないことを明言するなど、事態は大きく変化しました。これによってメリーの計画は頓挫しました。もしメリーが生きていたら、どのような選択をしたのでしょうか。
メリーならどうする?
私は思います。メリーが一人で会見に臨んだら、自分が弟の性的加害を知りながら長い間隠し続けたことを認め、自らも同罪だと深く謝罪するでしょう。そして、被害者たちに対しては、自身の財産や事務所の資金を売却し、最大限の補償と心のケアを提供するでしょう。残ったお金は、性的加害を起こさない活動を行うNPOなどに全額寄付するでしょう。そして、数カ月以内にジャニーズ事務所は解散し、他の芸能事務所に所属していたメンバーたちを自身が引き取るでしょう。
もしメリーが別の会社を立ち上げたりせず、自らでジャニーという名前を永遠に葬っていたはずです。
以上。
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