「そんな類いのことを言う方がどんな方なのか分かっていないでしょう」
「まるでクリーンなふりをして、国民をごまかすことは間違っていると思います」
韓東勲法相が、共に民主党の徐瑛教最高委員に対して行った批判的な発言について、徐瑛教最高委員の「過去」に触れたことが注目されています。11月22日の民主党最高委員会の冒頭発言で、徐瑛教最高委員が韓東勲法相に対して「警告する」「責任を問う」と批判を浴びせた後、韓東勲法相は徐瑛教最高委員の前歴に言及し、反撃しました。
以下では、韓東勲法相の発言を踏まえて、徐瑛教最高委員に関連する出来事を整理してみたいと思います。
徐瑛教最高委員の前歴
(1)「その方も運動勢力出身の非常に代表的な政治家ですね」
徐瑛教最高委員は1964年に慶尚北道尚州で生まれ、1983年に梨花女子大学の政治外交学科に入学しました。1986年には総学生会長を務め、当時の学生運動で前科を持っていました。1987年4月には国家保安法と集会デモ法違反で懲役1年、執行猶予3年、資格停止1年の刑を言い渡されましたが、同年7月に特赦されました。
徐瑛教最高委員は過去の広報活動で、このような前科について「総学生会長時代、全斗煥軍部独裁政権に対抗し、反独裁民主化運動を主導して投獄された」と釈明しています。
(2)「補佐陣を親族で固めた方ではないですか」
徐瑛教最高委員は、娘や兄弟を補佐陣として採用し、税金で給与を支給するという問題が浮上しました。このことから、「氏族議員室」という皮肉の言葉で揶揄されることもありました。
娘の休学中に徐瑛教最高委員が彼女を5カ月間インターン秘書として雇用したことは、2016年6月になって明らかになりました。さらに、2015年には実の兄弟を5級秘書官として採用し、非難を浴びました。
これらの補佐官は、国民の税金を使用して家族を採用したことが問題視されました。当時の基準では、インターン秘書の年収は1761万ウォン(約202万円)、5級秘書官の年収は6805万ウォンでした。
徐瑛教最高委員の後援会の会計責任者も兄であり、彼は徐瑛教最高委員の後援会に登録され、計2760万ウォンの報酬を受け取っていました。
こうした問題が次々と明るみに出たため、徐瑛教最高委員は2016年7月に自ら離党しましたが、1年2カ月後に復党しました。
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Written by: 日本ニュース24時間
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