厳しい「生活保護バッシング」に耐えながら裁判に立ち向かった当事者たち 「歴史的な大逆転判決」はどのようにして生まれたか?

名古屋高裁での逆転勝訴を伝える原告側弁護団と支援者

国が生活保護費を引き下げたことに対し、生存権を守るために1000人以上の受給者が「いのちのとりで裁判」を起こしました。今年に入り、青森、千葉、広島など9地域の地裁が原告の訴えを認め、支給額の引き下げを取り消す判決を下しました。

しかし、名古屋地裁は3年半前に「引き下げは国民感情や財政事情を踏まえたもの」として、原告の訴えを退けました。しかし、名古屋高裁の控訴審判決では引き下げを取り消し、国に賠償責任を認める判決を下しました。

この「大逆転判決」は、原告をはじめとする当事者たちの声が導いたものです。

病院の会計窓口で聞こえた「この人、ナマポだから」の声

判決後の報告集会で、弁護団や支援者は喜びに沸いていました。原告の一人、澤村彰さんは「やっと認められたか、という気持ちが強い」と語りました。

澤村さんは2011年から生活保護を受けています。静岡県の工場で派遣社員として働いていた際に、長時間労働や不規則な勤務体制から心身に不調をきたしました。心療内科で処方された薬を服用しながら働き続けましたが、別れた女性との問題をきっかけに愛知県の豊橋市に戻りました。しかし、仕事や住まいを見つけることができず、ホームレスになってしまいました。澤村さんは地元の支援団体とのつながりを通じて生活保護を申請し、アパートで暮らすことができるようになりました。

「生活保護を受けて良かったのは、安定して通院できるようになったことです」と澤村さんは言います。「適切な治療を受けられ、回復に必要なプログラムも利用できるようになったことは本当にありがたかったです」

一方で、澤村さんは受給者であることから傷つけられる経験もありました。「風邪をひいて内科にかかったら、会計窓口の向こうから『この人、“ナマポ(生活保護受給者に対する蔑称)”だから』と言う声が聞こえた」と澤村さんは語ります。生活保護を利用しているだけで、世間から蔑みの対象とされることについて、澤村さんは実感を抱いていました。

2012年になると、生活保護バッシングが起こりました。芸能人の家族が生活保護を受給しているという報道をきっかけに、政治家が「生活保護は恥」と公言し始めました。この報道に同調する声がSNSで高まり、自民党は「生活保護の給付水準を10%引き下げる」という公約を掲げ、圧勝しました。澤村さんも最初は「国の財政が苦しい中、引き下げはやむを得ないのでは」と感じていたそうですが、「こんなことが許されていいのか」と思い、原告になる決意をしました。

しかし、名古屋地裁は「自民党の政策は国民感情や財政事情を踏まえたもの」として、原告の訴えを退けました。

※本記事は日本ニュース24時間からの転載です。