事故や災害、あるいは株価の大暴落といった「万が一の事態」に遭遇したとき、人々が一斉に「合理的な行動」をとることで、さらに被害が拡大することがあります。残念ながらこれらは予想がむずかしく、被害の抑制も容易ではありません。そして、この事象はときに、長期にわたって影響を及ぼすこともあるようです。経済評論家の塚崎公義氏が解説します。
みんなが合理的に行動すると、みんなが損をする理由
劇場火災の際、観客個人として合理的な行動は非常口に向かって走ることです。しかし、全員が同じことをすると、非常口に大勢が殺到して悲惨な事態に陥ります。劇場支配人は「落ち着いて! 走らないで! 前の人の後ろをゆっくり歩いてください」などと放送しますが、人々が合理的に行動しているのを変更させるのは困難でしょう。
昭和のギャグに「赤信号、みんなで渡れば怖くない」というのがありましたが、「みんなで渡ると余計に危ない」ことが起こり得るのです。むずかしい言葉で「合成の誤謬(ごびゅう)」と呼びます。
このようなことは、比較的頻繁に生じています。たとえばスポーツ観戦で、みんなが「よく見えるように立ち上がろう」とすると、みんなが疲れるだけで、見え方は変わりません(みんなの身長が同じならば)。
経済の世界でも、たとえば株価暴落の噂を聞いたときに投資家にとって合理的な行動は「売り注文を出す」ことですが、すべての投資家が売り注文を出すと、株価が暴落して全員が損をします。
合成の誤謬のむずかしいところは「起きるまではみんながリスクに気づかない」ということです。劇場火災が起きる前から非常口の少なさを懸念する観客や、株価暴落が起きる前から合成の誤謬による暴落を心配する投資家は少ないでしょうから。
みんなが豊かになろうとすると、みんなが貧しくなる理由
みんなが豊かになろうとすると、みんなが長く働いて多く稼ぎ、みんなが倹約します。すると、多くの物(財およびサービス、以下同様)が作られますが、少ない物しか売れないため、売れ残ります。
企業は売れ残りを防ぐために生産量を減らしますから、従業員を減らします。クビになった人は失業してしまいますから、貧しくなります。問題は、失業しなかった人も貧しくなる、ということです。経営者が社員に向かって賃下げを切り出すからです。
「君たちの給料を下げる。嫌ならやめてもらい、代わりに失業者を雇う。彼らは安い給料でも雇ってほしいといっているから」といわれれば、社員たちは「給料は下がってもいいから雇い続けてください」といわざるを得ないでしょう。
みんなが豊かになろうと頑張った結果、みんなが貧しくなってしまう、ということが起こり得るのです。じつは、バブル崩壊後の日本経済が長期低迷している理由はこれなのではないか、と筆者は考えています。
バブル期までは、人々が「もっといい生活がしたい」と考えていたために、長く働いて多く稼いで多く使うという人が多かったのですが、バブル崩壊後は高齢化社会を前に「老後資金を貯めたい」という人が増えてみんなが金を使わなくなった、ということではないでしょうか。