“ケンちゃんシリーズ”宮脇康之さん「5回死にかけた」現在と「ジャニー喜多川さんの性加害の被害に…」の過去(あの人は今)


 宮脇健(康之)さん(63歳)

 1967年から10年間、「チャコとケンちゃん」「ケーキ屋ケンちゃん」などの“ケンちゃんシリーズ”(TBS系)で主役を演じ大人気だった宮脇康之(現・宮脇健)さん。あどけない笑顔がかわいかった。90年代には、テレビなどで当時の金満逸話やその後の苦労話を明かし、往年のケンちゃんファンを驚かせた。宮脇さん、今、どうしているのか。

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「わざわざ亀戸まで来てもらって悪いですね。亀戸には3年ほど前から住んでいまして、そのうえ、今はこの体なのでね」

 JR亀戸駅で待ち合わせた宮脇さん、まずはこう言った。見ると、赤いヘルプマークをつけた杖をついている。いったい、どうしたのか。

「3年前の12月に心筋梗塞の発作を起こし、6時間の大手術をしまして。両脚の動脈を心臓に移植し、両脚を50針ずつ縫いました。杖なしでも歩けるのですが、転ばぬ先の杖、というわけです。手術後は透析治療を週3回、1回4時間。治療中に急性低血圧になり、5回も死にかけました」

 ええっ、それは大変!

「心臓も腎臓も、糖尿病の合併症です。お酒は多いときで1日ワイン16本、たばこは8箱、身長160センチなのに体重が88キロもあったんです。今は酒もたばこもやめ、体重は57キロ。食事制限もあって、大好きなウナギやじゃこ天が食べられなくなってツライですよ」

 しかし、背に腹は代えられない。

「体調は天気によっても波があります。今日はとてもいいですが、もう、いつどうなるかわからない。女房には覚悟しとけよ、と伝えてあります」

 4歳年下の元美容師の早月夫人とは、35歳のときに結婚。現在、27歳の長男と20歳の長女に恵まれ、江東区内の家賃月15万円の戸建てに家族4人で暮らしている。

「世界一の女房ですね。仕事のないときも、こうして病気をしてからも支えてくれている。彼女と結婚したことが、人生で一番の幸運でした。女房は今、とんかつ屋の店長。ボクが店まで送り迎えしたり、食材を届けたりして手伝っています。“スーパーかかあ天下”で尻に敷かれていますけど、ボク、気の強い女性が好きなんですよ(笑)。子どもも大好きなので、家族と一緒にいられることが、一番の喜び。長男は会社員。長女は大学生。孫を抱いてから死ぬのが目標ですね」

 宮脇さん自身は、両親と兄の4人家族に生まれたが、宮脇さんが20歳のときに両親は離婚。家族はバラバラになった。

「母は14年前に故郷・松山でがんで亡くなり、父はその2、3年後に、風の便りに亡くなった、と。兄は母が亡くなる4、5年前に自殺しました。理由はわかりません」

 なんと……。

「ボクが幼い頃からずっと忙しく、家族だんらんの時間はほとんどありませんでした。だから、ずっと家族に憧れがあったんです。結婚前は大阪や沖縄で、元『チャンバラトリオ』のゆうき哲也さんの付き人や、夜の店の黒服など何十種類もの仕事をし、人にだまされ何億という借金を背負いました。電気もガスも止められ、ろくに食べられない時期もありました。でも、31歳で東京へ戻り、結婚後はだんだん落ち着きました。コロナでダメになりましたが、それまではビジネスがうまくいき、15年前には岡山の三洋金属という廃バッテリーなどのリサイクル・中間処理の会社の取締役に迎えていただきました。各地の実業家とつないだり、自社CMに出演したりして給料をいただいています」

 芸能活動はしていないのだろうか。

「来年、出馬康成という映画監督の作品に出演予定です。出馬監督の2018年公開の『ギフテッド フリムンと乳売り女』に出演したご縁が続いています。あと、来年2月に、愛媛県松山市の劇団の旗揚げ興行出演の話もいただいています。ボクの俳優としての姿を通して、ボクの生きざまを子どもたちに見せてあげたい。2人とも、ほとんど見たことがありませんから」

 さて、東京・赤羽出身の宮脇さんは、2歳のとき劇団「日本児童」に入り、64年、山田洋次監督の映画「運が良けりゃ」でデビュー(公開は66年)。67年に「チャコねえちゃん」(TBS系)がスタートすると弟役の宮脇さんの人気が出て、“ケンちゃんシリーズ”としてその後、10年間、放送が続いた。

「今となっては、楽しい思い出。ケンちゃんの看板があったからこそ、困っているとき、いつも誰かが手を差し伸べてくれて、生きてこられました。良いことも悪いこともたくさん経験し、天国も地獄も見て、他人の2倍生きました(笑)。チャコちゃんを演じた四方晴美チャン? 電話番号が変わってしまって、3年ほど前から連絡がつかなくなってしまいました」

 “ケンちゃんシリーズ”終了後、ジャニーズ事務所に所属し、バンドを組んでいたこともあった。

「ボクもジャニー喜多川さんの性加害にあったひとり。今でも、そのときのことがフラッシュバックすることがありますが、新事務所には誠意ある対応をしていただき、円満に解決しました」

 まさに激動の人生……。

(取材・文=中野裕子)



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