10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたび振り返る【プレイバック・フライデー】。今回は30年前の’94年11月4日号掲載の『殴る 蹴る 監禁 暴言… 京都祇園の舞妓が集団脱走 告発!「ウチらの女工哀史」』を紹介する。
【とても17歳とは】すごい…30年前の芸妓さん「色白で細身」の美しき舞妓姿
京都・祇園の老舗置屋の舞妓さんたちが日頃からの仕打ちに耐え切れずに’94年8月までに次々と辞めていた。そんな彼女たちが口々に証言したのは、今から30年前の置屋の〝衝撃の実態〟だ。報道を受けて体質も改善され、現在の祇園ではこういったハラスメントはほとんど聞かなくなった。日本の伝統文化の健全化に一石を投じた告発を、当時の記事では以下のように報じている(以下《 》内の記述は過去記事より引用)。
◆「せっかく結うた髪をぐしゃぐしゃにしはったり」
《「もし、逃げたらヤクザに追わせるからな、と脅されたこともおしたんです」》
そんな暴言を毎日のように浴びせられることに耐え切れずに次々と置屋から逃げ出したのは、置屋『X』にいた元舞妓のAさん(当時17)、Bさん(当時21)、Cさん(当時17)、置屋『Y』にいたDさん(当時21)の4人だった。30年前、彼女たちが本誌に語っていた置屋での仕打ちは凄惨な内容だった。
[①いじめ]置屋のおカミさんを筆頭に先輩のお姐さんたちのいじめは彼女たちの立ち居振る舞いすべてに及んだ。
《「なにか失敗をすると、それぞれの実家のことを持ち出してネチネチいじめる」くらいは朝飯前。機嫌が悪い時などは、「トイレで気張っただけで、紙を無駄遣いするなといって怒られる」》
エスカレートすると平手打ち、鉄拳制裁は無論のこと飛び蹴りや回し蹴りまで爆発するというから被害も甚大だった。
《「”われしのぶ”の髪形の時に頭をしばかれて、ピンが頭に刺さったこともあした」 (Dさん)
「せっかく結うた髪をぐしゃぐしゃにしはったり、着物をつかんで引きずり回された」(Cさん)》
[②お仕置き]おカミさんやお姐さんたちに叱られると、許しがあるまで正座させられた。これがほとんど拷問に近い状態だったという。夏ならば脱水症状になる寸前まで、冬は寒さで風邪をひきかけたこともあったそうだ。
《「一番辛かったのはお風呂場で裸で冷たい床の上に長いこと正座させられたこと。それをお姐さんは湯船につかりながら見物してはるんどす」(Bさん)》
◆休日もお目付け役が監視
4人が過去に明かしていた実態は、まだまだある。
[③プライバシーがない]月に2日しかない休みの日でも1日の行動は自由に決められなかった。普段着はミニスカート、ジーンズは厳禁で繁華街への外出にはお目付け役が同伴した。郵便物は勝手に開封され、親からの小包もおカミさん立ち会いのもとに開けられた。1年で実家に帰れるのは6日のみ、多少、体調が悪いぐらいではお座敷は休ませてもらえないという軍隊のような厳格な生活を強いられた。
[④ピンハネ]当時、舞妓さんの給与は月4万~5万円ほど。その代わり客からの〝祝儀〟があり、合わせて月平均10万~20万円ほどの収入になるはずだったのだが……。
《「祝儀を全部取られてしもうたんです。5年間で数百万円にもなると、思うんどすけど……」(Dさん)》
こういった数々の告発に当の置屋は、どう答えていたのか。
《「いまの世の中、そんな無茶苦茶なこと するわけありまへんがな」(置屋X)
「そういう事実はありません。伝統文化に裏打ちされた古い社会ですから、なにもかも算数みたいに割り切れるものやないんです」(置屋Y)》
舞妓を辞めた4人は、いままで修行を積んできた芸事を活かして、舞妓のもてなしを一般でも体験できるような新しい接待サービスを始めたいと語っていた。災いは転じて福となったのだろうか。
◆’22年にも未成年飲酒や性被害の告発が
本誌の記事の公開当時、この〝舞妓集団脱走事件〟はあまり大きく取り上げられなかった。全国的に話題になったのは、’94年12月にDさんが置屋Bを相手取って慰謝料と4年分の祝儀、計約1千万円の支払いおよび返還を求める訴えを起こしてからだった。この訴訟は「女将と舞妓は親子同然」という祇園の伝統に「労働者の権利」を持ち込んだとして各メディアが報じたのだ。
現在であれば、完全にパワハラでアウトの案件なのだが、もちろんこの当時はそういった概念はなく、両者の言い分を淡々と報じるのみで、舞妓さんたちの「人権」にまで触れた報道はほとんどなかった。世間一般でも、「伝統の世界だから仕方がない」という反応がかなりあったようだ。
元舞妓さんたち4人は‘94年11月に舞妓派遣会社『舞妓の館』を立ち上げた。旅館や旅行会社などにパンフレットを配布したら予約が半年先まで埋まったと当時の新聞記事で報じられている。裁判は当事者間の話し合いがまとまったとして、’95年4月に和解となっていた。
’22年6月には、未成年への飲酒強要や性被害の体験を元舞妓がTwitter(現・X)で告発。このときも舞妓の仕事に注目が集まったことは記憶に新しい。伝統技芸を受け継ぐ舞妓・芸妓は「京都をつなぐ無形文化遺産」に指定される「京都・花街の文化」の一つ。何百年もの伝統がこの先も、時代に即した形で、守られていくことを願うばかりだ。
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