山口組総本部:60年の歴史と変遷、組織の象徴を紐解く

神戸市灘区篠原本町に位置する山口組総本部、通称「篠原」。その60年以上にわたる歴史と変遷を、最新号の『山口組新報』を元に紐解いていきます。田岡一雄三代目組長の邸宅から、現在の厳重なセキュリティ体制に至るまで、組織の象徴とも言えるこの場所の知られざる一面に迫ります。

田岡三代目時代:未舗装のガレージから始まった歴史

1963年、田岡一雄三代目組長が篠原本町に邸宅を構えたことが、現在の総本部の始まりです。当時のガレージは未舗装で、簡素な屋根の下にベンチが置かれているだけの質素なものでした。

竹中四代目時代:組織拡大と共に進化する総本部

竹中正久四代目組長体制になると、田岡三代目の邸宅を山口組が買い取り、正式に「総本部」として機能し始めます。新本部棟の着工と共にガレージも舗装され、「ガレージ当番」と呼ばれる役割が誕生しました。近隣の喫茶店は、24時間体制で警備や清掃を行う組員たちの憩いの場となっていたそうです。

渡辺五代目時代:テニスコートや鳥小屋も登場

渡辺芳則五代目組長時代には、ガレージ小屋が建設され、テニスコートやゴルフの練習ネットが設置されるなど、さらに機能が拡張されました。敷地内には渡辺五代目組長の住まいもあり、烏骨鶏を飼う鳥小屋や、警察犬・災害救助犬として活躍するロットワイラーの姿も見られたといいます。

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六代目司組長時代:セキュリティ強化と地域交流

2005年、司忍組長による六代目体制に移行すると、セキュリティが大幅に強化されます。シャッターの内側には防弾アクリル板の扉が設置され、「ガレージ当番」にはIDカードが支給されるなど、入退室管理が厳格化されました。同時に、食事会やハロウィン、餅つきといった地域住民との交流イベントも積極的に開催されるようになり、新たに食堂も建設されました。

約5年間の使用制限:組織の象徴は今

現在、山口組総本部は約5年間の使用制限を受けています。かつて100台以上の車が駐車できた広大なガレージ、組員たちが行き交った場所、そして地域住民との交流の場でもあったこの場所は、今どのような状況なのでしょうか。組織の象徴である「総本部」の今後が注目されます。