企業のダイバーシティ推進が進められる中で、議論はしばしばマイノリティー側、特に女性やその他の少数派の権利拡大に焦点を当ててきました。しかし、問題の根幹に迫るには、マジョリティー側が無自覚に享受している「マジョリティー特権」と真摯に向き合うことが不可欠です。この概念を理解し、マジョリティー側がどう関わるべきか。今回は、「マジョリティー特権」研究の第一人者である上智大学の出口真紀子教授に、その本質と重要性について伺いました。
なぜ今、「マジョリティー特権」に焦点を当てるのか
出口教授がこのテーマに興味を持ったきっかけは、米国の大学での教職経験でした。白人の学生から「人種差別について、人種的マイノリティーがいる場でどう対話すればいいか」と問われた際、マイノリティーの苦しみから議論を始めるアプローチに限界を感じたと言います。「マイノリティーはこれほど苦しんでいる」という訴えだけでは、マジョリティー側は責められていると感じ、「私たちにどうしろと?」という反発を招きかねない。
多様性推進におけるマジョリティー側の特権認識の必要性
この経験から、差別の問題をマイノリティー側からではなく、マジョリティーの側から捉え直す必要性を痛感。大学院時代に触れた「白人特権」(White Privilege)の概念が結びつき、自身の研究対象とするに至りました。マジョリティー自身が自己の優位性を自覚し、社会のために活用する「アライ(Ally)」の存在を知ったことも、大きな転換点となったとのことです。
「マジョリティー」「マイノリティー」「特権」の定義
「マジョリティー」と聞くと数の多寡を想像しがちですが、社会的公正教育の文脈では異なります。ここで言うマジョリティーとは「権力にアクセスしやすく、パワーを持つ集団」、マイノリティーはその逆で「権力から遠く、アクセスしにくい集団」を指します。
一方、「特権」とは、マジョリティー側の集団に属しているがゆえに、特別な努力なくして自然と得られる「無自覚な優位性」です。特権は、持っている本人にとってはあまりに当たり前すぎて、その存在になかなか気づきにくいという性質を持っています。
なぜ特権は「見えにくい」のか?自動ドアの比喩
特権の自覚の難しさを説明する際、出口教授は「自動ドア」の比喩を用います。特権を持つマジョリティー側の人にとっては、目の前のドアは自動で開く。立ち止まる必要もなく、そのままスムーズに進んでいけるため、そもそも「ドア」という存在や、それが「自動で開いた」という事実にすら気づかないことがあります。彼らにとっては、それは「当たり前」の経験なのです。
一方、特権を持たないマイノリティー側の人にとって、同じドアは自動では開きません。自分の力で押し開ける、あるいは他の方法を探すといった努力が必要です。自動ドアが常に開く経験がないマジョリティーは、マイノリティーが日々直面するこのような「構造的差別」や障壁の存在を想像しにくく、結果として彼らが受けている不利益にも無自覚になりがちなのです。
結論:ダイバーシティ推進にはマジョリティーの意識改革が不可欠
出口教授のお話から、「マジョリティー特権」とは単なる数の論理ではなく、社会構造の中で特定の集団が無意識に享受する優位性であり、それがマイノリティーが直面する障壁を見えにくくしている根本原因の一つであることが明確になりました。
真に実効性のあるダイバーシティ推進を実現するためには、マイノリティーの状況改善に加えて、マジョリティー側が自身の持つ特権に気づき、それを社会全体の利益のためにどう活用できるかを主体的に考えていく意識改革が不可欠です。自動ドアが誰にでも開く社会を目指すには、まず自動で開いていた側がその仕組みに目を向けることから始まるのです。