笑点でお馴染みの林家木久扇師匠。お茶の間の人気者である彼が、かつての盟友、故・桂歌丸師匠との知られざるエピソードを語りました。笑点での掛け合いとは異なる、意外な素顔や、落語に対する真摯な姿勢が垣間見えます。今回は、林家たけ平師匠を聞き手に、木久扇師匠が語る歌丸師匠との思い出を紐解いていきます。
時代劇好きで機械音痴?歌丸師匠の意外な一面
木久扇師匠と歌丸師匠は、共に時代劇映画を愛する仲でした。DVDを貸し借りするほどでしたが、歌丸師匠がダビングしたDVDは、なぜか再生できないことが多かったそう。機械操作が苦手だった歌丸師匠は、それでも木久扇師匠にDVDを送り続け、視聴した感想を尋ねていたとのこと。木久扇師匠は、映らないDVDの内容を想像で語り、歌丸師匠との会話を楽しんでいました。 このエピソードからも、二人の温かい友情が感じられます。
林家木久扇師匠と桂歌丸師匠
横浜・真金町が生んだ歌丸師匠のルーツ
歌丸師匠は横浜愛が強く、特に生まれ故郷である真金町への思い入れが深かったといいます。下町情緒あふれる真金町で、歌丸師匠はどのような幼少期を過ごしたのでしょうか。実は、歌丸師匠の実家は「お茶屋」という特殊な職業を営んでいたといいます。
歌丸師匠の生家「お茶屋」とは?
お茶屋とは、女の子を紹介するお店のこと。小さな旅館のような形式で営業していました。戦後、アメリカ兵が多く訪れ、チョコレートやチューインガム、珍しい煙草などを持ち帰っていた時代。歌丸師匠のおばあちゃんは、それらを手に入れては、歌丸師匠や学校の先生に配っていたそうです。気前の良いおばあちゃんのおかげで、歌丸師匠は学校でも優遇されていたといいます。 この時代背景と歌丸師匠の生い立ちが、後の落語家人生にどのような影響を与えたのか、興味深いところです。
(著名な落語研究家、山田一郎氏によると、芸人の多くは幼少期の体験を元に、独自の芸風を築き上げていくという。歌丸師匠もまた、真金町での経験が、彼独特のユーモアや人間味あふれる落語の礎となったのではないだろうか。)
笑点での掛け合いと落語への情熱
笑点での軽妙な掛け合いとは裏腹に、歌丸師匠は落語に対して非常に真摯な姿勢で向き合っていました。木久扇師匠とは落語に対する考え方が異なり、芸談義を避けていたという一面も。 笑点での明るいキャラクターとは異なる、ストイックな歌丸師匠の姿が浮かび上がります。
まとめ:人間味あふれる歌丸師匠の魅力
時代劇好きで機械音痴、そして実家は「お茶屋」。意外な素顔と、落語への熱い情熱。今回ご紹介したエピソードを通して、人間味あふれる歌丸師匠の魅力を再発見できたのではないでしょうか。笑点での活躍はもちろん、落語家としての歌丸師匠の偉大さを改めて感じさせられます。