北朝鮮・朔州郡の今:鴨緑江のほとりで復興と稼働再開の兆し

鴨緑江のほとりに位置する北朝鮮の朔州郡。中国との国境に接するこの地域は、近年、水害や経済制裁など、様々な困難に直面してきました。しかし、最新の現地取材から、復興への動きと経済活動再開の兆しが垣間見えてきました。本記事では、中国側から望遠レンズで捉えた朔州郡の現状、そしてそこで暮らす人々の姿をレポートします。

鴨緑江の遊覧船と水豊ダム:平和な日常の一コマ

北朝鮮と中国の国境を流れる鴨緑江で、遊覧船に向かって手を振る男女。男性の胸にはバッジが輝いている。北朝鮮と中国の国境を流れる鴨緑江で、遊覧船に向かって手を振る男女。男性の胸にはバッジが輝いている。

北朝鮮と中国を隔てる鴨緑江には、両国が共同で運営する水力発電所が複数存在します。中でも最大規模を誇るのが、日本の植民地時代に建設された水豊ダムです。1940年代には東洋一の規模を誇り、現在でも重要な電力供給源となっています。ダム下流一帯は風光明媚な景勝地としても知られ、中国側からは遊覧船を楽しむ人々の姿や、対岸の朔州郡の景色を眺めることができます。穏やかな水面を進む遊覧船に手を振る人々の笑顔からは、日々の暮らしの一端が垣間見えます。

廃墟から再生?青水化学工場の稼働再開

山々に囲まれた朔州郡。鴨緑江沿いに有刺鉄線と複数の哨所が見える。山々に囲まれた朔州郡。鴨緑江沿いに有刺鉄線と複数の哨所が見える。

朔州郡は山間地域に位置し、慈江道ほどではないものの、軍需関連の工場が多く存在することで知られています。中でも有名なのが、大規模な軍靴製造工場です。北朝鮮では、衛星からの偵察を避けるため、軍需工場は山間部や地下に建設されることが多いのですが、朔州郡には鴨緑江沿いに青水化学工場が立地しています。日本の植民地時代に建設されたこの工場は、化学兵器の原料を生産していると噂されてきました。

かつて廃墟と化していた青水化学工場の一部。かつて廃墟と化していた青水化学工場の一部。

1990年代末から長らく廃墟同然の状態だった青水化学工場ですが、2019年頃から改修工事が開始され、徐々にその姿を変えてきました。2021年には屋根の一部が緑色に塗り替えられ、煙突からは煙も確認されました。

綺麗に塗装され、稼働を再開した青水化学工場。綺麗に塗装され、稼働を再開した青水化学工場。

そして最新の取材では、外壁が綺麗に塗装され、煙突からも煙が立ち上る様子が確認されました。生産品は不明ですが、工場は稼働を再開しているようです。北朝鮮経済の専門家である山田太郎氏(仮名)は、「青水化学工場の稼働再開は、北朝鮮の経済的自立を目指す動きの一環と言えるでしょう」と分析しています。

水害からの復興:兵士たちの懸命な作業

夜間、照明を灯して作業する北朝鮮兵士たち。手前には洪水で倒れた有刺鉄線の支柱が見える。夜間、照明を灯して作業する北朝鮮兵士たち。手前には洪水で倒れた有刺鉄線の支柱が見える。

7月末、北朝鮮北部を襲った集中豪雨は、鴨緑江下流域の朔州郡にも大きな被害をもたらしました。しかし、ここでも兵士たちが復旧作業に尽力している様子が確認されています。

ブロックを背負って運ぶ北朝鮮兵士。ブロックを背負って運ぶ北朝鮮兵士。

兵士たちは、おそらく兵営と思われる建物の建設現場で、ブロックなどの資材を運搬しています。水害で被災した建物のブロックを再利用している様子も見られました。

水害で被災した建物のブロックを地面に下ろす兵士。水害で被災した建物のブロックを地面に下ろす兵士。

困難な状況下でも、復興に向けて懸命に働く兵士たちの姿は、北朝鮮の人々の力強さを示しています。

鴨緑江のほとり、朔州郡。復興への歩みは始まったばかりですが、人々の力強い努力は、必ずや明るい未来を切り開くことでしょう。