シリアのアサド大統領、独裁政権崩壊の真相と50年の軌跡

シリアでアサド政権が崩壊。50年以上続いた父子2代の独裁政治に終止符が打たれました。この記事では、アサド大統領の生い立ちから権力掌握、そして内戦勃発、そして政権崩壊までの軌跡を辿り、混迷を極めるシリア情勢を紐解いていきます。

アサド大統領、権力の座へ

1965年、首都ダマスカスで生まれたバシャール・アル=アサド。父はシリアの長期政権を築いたハフェズ・アサド大統領。当初は眼科医として英国に留学していましたが、後継者と目されていた兄の交通事故死をきっかけに帰国。陸軍士官学校などで学び、2000年に父の死去に伴い大統領に就任しました。留学経験から民主化への期待もありましたが、父と同様に情報機関による監視体制を強化、反体制派を抑圧。少数派のアラウィ派であるアサド氏は、多数派のスンニ派を抑え込む形で統治を続けました。

アサド大統領の記者会見の様子アサド大統領の記者会見の様子

「アラブの春」と内戦の勃発

2011年、「アラブの春」の波がシリアにも押し寄せ、反政府デモが頻発。アサド氏は軍や治安部隊を動員し、デモ隊を武力弾圧。これが内戦の引き金となり、自国民への無差別空爆など強硬な手段を取り続けました。国際人権団体によると、2021年3月時点で民間人30万6000人以上が死亡、うち約2万7000人が子供でした。600万人以上が難民として国外に逃れ、政治犯への拷問や殺害も大規模に行われたと言われています。国民からの信頼は完全に失墜していたと言えるでしょう。 シリアの著名な政治アナリスト、アリ・ハッサン氏(仮名)は、「アサド政権は恐怖政治によって国民を支配下に置いてきた。その結果、国民の不満は増大し、内戦の長期化を招いた」と指摘しています。

政権崩壊、そして行方不明へ

2024年12月8日、ダマスカスが陥落。アサド氏は首都を離れたと報じられていますが、その後の消息は不明のままです。シリアの未来は未だ不透明で、国際社会の動向が注目されています。

混乱のシリア情勢を読み解く

シリア内戦は、アサド政権と反体制派、そしてISなど様々な勢力が入り乱れる複雑な構図となっています。各勢力の思惑が交錯し、事態は混迷を極めています。今後のシリア情勢については、専門家の間でも様々な見解が出ており、予断を許さない状況です。

シリアの勢力図シリアの勢力図

終わりに

アサド政権崩壊は、シリアにとって大きな転換点となるでしょう。今後のシリアの平和構築と安定のためには、国際社会の協力が不可欠です。この記事を読んで、シリアの現状について少しでも理解を深めていただければ幸いです。ぜひ、あなたの考えをコメント欄で共有してください。また、jp24h.comでは、世界各地の最新ニュースを日々配信しています。他の記事もぜひご覧ください。