北海道苫前村で1915年12月に発生した、史上最悪の獣害事件「三毛別事件」。巨大ヒグマによる凄惨な被害は、当時の人々に大きな衝撃を与えました。この事件で活躍し、凶悪なヒグマを仕留めた伝説の猟師、山本兵吉。彼の狩猟技術はもちろんのこと、その人間性にも注目が集まりました。今回は、彼の知られざる素顔と、事件に対する悔恨の念に迫ります。
狩りの名手、山本兵吉の素顔
山本兵吉は、その卓越した狩猟技術で名を馳せた猟師でした。酒好きで知られていましたが、金銭への執着はなく、義侠心に厚い人物だったと言われています。 彼の狩猟技術は、幼少期からの厳しい自然環境での生活で培われたものでした。地元住民からの信頼も厚く、事件解決に大きく貢献しました。
山本兵吉の肖像
事件への悔恨と親戚の存在
事件後、地元紙のインタビューで兵吉は、「事件発生をもっと早く知っていれば、多くの犠牲者を出さずに済んだかもしれない」と、深い悔恨の念を吐露しています。 このインタビュー記事には、「親類宅に立ち寄り」という記述があり、六線沢に兵吉の親戚が住んでいたことが分かります。戸籍調査から、母方の姓である「田中」や「山本」姓は見当たりませんが、「岩崎金蔵」という人物が鍵を握っている可能性が浮上しています。兵吉の妹ミサの婚姻届や、母のムメの死亡届に「岩崎」姓が登場することから、岩崎金蔵が兵吉の親族である可能性が示唆されます。
事件現場の様子
岩崎金蔵と事件の第一発見者
苫前歴史資料館の資料によると、岩崎家は最初に襲撃を受けた太田家の隣家でした。また、事件の第一発見者となった松永米太郎が、石臼を受け取るために岩崎家を訪れていたという記録も残っています。 これらの情報から、岩崎金蔵は事件に深く関わっていた人物であり、兵吉の親族であった可能性が高いと考えられます。 歴史資料と証言を組み合わせることで、事件の真相、そして山本兵吉という人物像がより鮮明に浮かび上がってきます。
伝説の猟師、その胸中に迫る
山本兵吉は、優れた狩猟技術を持つだけでなく、人間味あふれる人物でした。 彼は、事件の被害者とその家族への深い同情の念を抱き、自らの責任を強く感じていたのです。 三毛別事件は、自然の脅威と人間の勇気を後世に伝える重要な出来事であり、山本兵吉という人物の生き様は、私たちに多くの示唆を与えてくれます。