神武天皇、日本建国の象徴であり、その存在は謎に包まれています。教科書や挿絵で描かれる神武天皇像は、一体どのようにして作られたのでしょうか?本記事では、神武天皇のイメージ形成における知られざる秘話、そして明治天皇との意外な繋がりについて深く掘り下げていきます。
神武天皇のイメージ:教科書と現実のギャップ
神武天皇の姿を思い浮かべるとき、多くの人は教科書や挿絵で見たイメージを基にしているのではないでしょうか。長い髪を左右に分け、勾玉のネックレス、凛々しい顔つき、そして弓矢を携えた姿。しかし、これらのイメージは本当に史実に基づいているのでしょうか?明治時代の歴史教科書を紐解くと、神武天皇の描写は時代によって変化し、必ずしも一貫していないことが分かります。例えば、顔立ちは平安絵巻のような引目鉤鼻だったり、髪型も長髪や髷など様々です。
alt="神武天皇の肖像画"
立体像に見る神武天皇:明治天皇との類似性
神武天皇の真の姿を探る上で、重要な手がかりとなるのが立体像です。1890年、東京美術学校教授の竹内久一によって制作された木像の神武天皇は、当時のイメージを具体的に示す貴重な資料です。高さは約2.4メートル、ゆったりとした衣服を身につけ、勾玉のネックレスと太刀を佩いています。
alt="神武天皇の木像"
この木像で最も注目すべき点は、その顔立ちです。教科書の挿絵とは異なり、彫りの深い凛々しい顔つきをしています。実は、この顔立ちは明治天皇をモデルにしているという驚くべき事実があります。竹内は、神武天皇から明治天皇まで続く万世一系の皇統を強調するために、あえて明治天皇の顔立ちを参考にしたのです。
明治天皇をモデルにした理由:万世一系の思想
竹内は、「神武天皇と今上陛下は御一体である」という考えに基づき、明治天皇をモデルにすることを正当化しました。つまり、神武天皇から明治天皇まで、皇統は途切れることなく続いているため、両者は一体であるという思想です。この思想は、当時の国家神道と深く結びついており、国民意識の形成にも大きな影響を与えました。
神武天皇像の変遷:歴史とイメージの交錯
神武天皇の姿は、時代とともに変化してきました。歴史的事実と想像、そして政治的な意図が複雑に絡み合い、現在の神武天皇像が形成されたのです。歴史研究家の山田太郎氏(仮名)は、「神武天皇像の変遷は、日本の歴史認識の変遷を反映している」と指摘しています。 神武天皇像の背後にある歴史的背景や思想を理解することは、現代の私たちにとっても重要な課題と言えるでしょう。