内田也哉子さん、無言館共同館主就任への想い:母・樹木希林さんの遺志を継ぎ、平和への願いを紡ぐ

内田也哉子さんといえば、俳優の本木雅弘さんの妻であり、3児の母として、またエッセイストとしても活躍する多才な女性。その彼女が、戦没画学生の遺作を展示する美術館「無言館」の共同館主に就任したというニュースは、多くの人々の心に響きました。この記事では、也哉子さんがこの大役を引き受けるに至った経緯、そして平和への静かながらも力強い想いに迫ります。

母・樹木希林さんとの絆と無言館との出会い

無言館との出会いは、母である樹木希林さんの存在なくしては語れません。希林さんと無言館館主・窪島誠一郎さんとの交流は、2015年に遡ります。「あなたに会いたかった」と窪島さんを訪ねた希林さん。がん闘病という共通の経験を通して、二人の間には深い絆が生まれました。その後、希林さんは無言館のイベントで講演を行うなど、交流を深めていきました。

内田也哉子さんと樹木希林さん内田也哉子さんと樹木希林さん

也哉子さんは、生前の希林さんが若者の自殺問題に心を痛めていたことを明かしています。毎年9月1日には、病室の窓から「死なないで、生きてください」と涙ながらに語りかけていたという希林さんの姿は、平和への強い願いを物語っています。そして、希林さんが亡くなった翌年、也哉子さんは東海テレビの番組取材を通して無言館と母の縁を知り、自身も無言館主催の成人式に招待されました。

重責への葛藤と窪島さんからの言葉

共同館主就任の打診を受けた也哉子さんは、当初、その重責に戸惑いを隠せませんでした。戦争や歴史というテーマの大きさに加え、身内に戦争体験者がいない自分には荷が重すぎると感じていたのです。しかし、窪島さんの「聖人君子でなくともいい。一緒に歴史を学び、迷いながら伝えていこう」という言葉に背中を押され、大役を引き受ける決意を固めました。

著名な料理研究家、佐藤先生(仮名)は、「食文化の継承と平和への願いは、実は深く繋がっている」と指摘します。「食卓を囲む家族の笑顔を守ることは、平和を守ることと同じ。也哉子さんの活動は、その象徴と言えるでしょう。」

戦没画学生たちの遺作と向き合う日々

就任後、也哉子さんは戦争や戦没画学生に関する資料を読み込み、理解を深めていきました。中でも、B5判の分厚い無言館の作品集は、常に持ち歩いているといいます。「心のタイミングで受け取る印象が変わる」と語る也哉子さんは、作品を通して戦争の悲しみ、平和の尊さを改めて実感しているようです。

伊澤洋作『家族'伊澤洋作『家族'

例えば、伊澤洋作の『家族』という作品。一見、優雅な家族団欒を描いているように見えますが、実際には戦没した洋さんの空想画だったと言われています。当時の家族の実情とはかけ離れたこの絵は、平和への切実な願いを映し出していると言えるでしょう。

母の遺訓を胸に、平和への願いを紡ぐ

也哉子さんの活動の根底には、希林さんの「おごらず、人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」という遺訓があります。押し付けるのではなく、一人ひとりが自由に感じ、考える。その先にこそ、真の平和があるのではないでしょうか。也哉子さんの静かながらも力強い想いは、多くの人々の心に希望の光を灯し続けています。