仕事、家事、子育て、学業といった日々の多忙な生活の中で、自分の本音を後回しにし、無理を重ねてしまう人は少なくありません。誰にも弱音を吐けず、「大丈夫なふり」をして日々をやり過ごす人々が増える中で、一冊の本が大きな注目を集めています。それが、「悩んだときに心が軽くなる本」として話題の『大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをした』(クルベウ著/藤田麗子訳)です。この本は、自分のことよりも他者を優先して生きがちな人々の心に深く寄り添う内容となっています。今回は、精神科医のさわ先生に、本書の内容を踏まえつつ、現代の日本社会が抱える「生きづらさ」の根源と、その心理的な影響について詳しくお話を伺いました。
日本社会に根差す「他者優先」の価値観:協調性の影で失われる自己
現代の日本社会では、「他人に迷惑をかけないこと」や「協調性」がことさら重要視される傾向にあります。精神科医のさわ先生は、この背景には日本の公教育が深く関わっていると指摘します。「和を乱さない」「空気を読む」といった教育方針のもとで育つと、個人は無意識のうちに「自分が何をしたいか」よりも「周囲に何を求められているか」を優先して考えるようになります。これにより、「他人軸」で生きることが当たり前となり、自分自身の感情や欲求が二の次になってしまうのです。
このような傾向は、『大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをした』の中でも具体的に言及されています。例えば、「人間関係が苦手な人は他人に自分のいい面だけ見せようとする」「気乗りしないときも相手の話を聴いてやる。心から共感できなくても共感したふりをしてしまう。」(p.147)と記述されており、相手の目を過剰に気にすることで、自分の内なる気持ちが後回しになる心理が浮き彫りにされています。私たちは、嫌われたくないという気持ちが先行すると、つい本心とは異なる行動を取り、無理をしてしまいがちです。
精神科医さわ先生が日本社会の生きづらさについて語る
本音を隠し続けることの心理的代償:心身の疲弊と人間関係の回避
このような無理が日常的に続くと、次第に自分の本音を表現すること自体が怖くなるという悪循環に陥ります。気づかないうちに心は静かに、しかし確実に疲弊していき、最終的には人とかかわること自体が精神的な重荷と感じられるようになるのです。表面上は順応しているように見えても、内面では深い孤独感や疲労が蓄積され、精神的な健康を蝕んでいく可能性があります。
現代社会における人間関係の複雑さや、SNSを通じた絶え間ない情報交流は、この「大丈夫なふり」をさらに加速させる要因ともなります。常に他者の評価を意識し、自分のイメージを保とうとすることで、本来の自己と社会的な自己との間に大きな乖離が生じ、それがさらなるストレスへと繋がります。
若年層に広がる「生きづらさ」の深刻な現実:見過ごされがちな心の叫び
こうした「生きづらさ」は、大人だけの問題に留まりません。SNS上では、人間関係に疲弊し「人生をやめたい」といった切実な投稿が頻繁に見受けられます。さわ先生は、日本の幸福度ランキングが先進国の中でも著しく低いこと、特に若者の自殺率が非常に高いことに警鐘を鳴らします。これは韓国社会でも同様の深刻な問題として認識されていますが、日本においてもその根深さは増しています。
さわ先生のクリニックには、小学校高学年という幼い時期から「死にたい」「消えたい」と訴える子どもたちが来院すると言います。これは、単なる一時的な感情ではなく、社会全体が抱える構造的な「生きづらさ」が、幼い世代にも影響を及ぼしている現実を示唆しています。しかし、実際に助けを求めることができる子どもたちは、氷山の一角に過ぎないのかもしれません。多くの心の叫びが、社会の目に見えない場所で埋もれてしまっている可能性も指摘されます。
結論:日本社会の「生きづらさ」に向き合うために
現代の日本社会における「生きづらさ」は、個人の問題として片付けられるものではなく、公教育のあり方、社会が求める協調性の価値観、そして人間関係の構造全体に深く根ざした複合的な課題です。他者への配慮が行き過ぎることで自己の感情を抑圧し、結果として心身の疲弊、孤独感、そして深刻な精神的問題へと繋がる悪循環が形成されています。
特に、幼い世代までもが「死にたい」「消えたい」といった言葉を発する状況は、社会全体で真剣に受け止めるべき危機的信号です。私たち一人ひとりが、表面的な「大丈夫」の裏に隠された真の感情に目を向け、他者だけでなく自分自身の心にも寄り添うことの重要性を再認識する必要があります。この「生きづらさ」に光を当て、誰もが本音を出しやすい、より健全な社会を築くための対話と行動が今、強く求められています。
参考文献:
- クルベウ著、藤田麗子訳『大丈夫じゃないのに大丈夫なふりをした』
- 精神科医さわ先生への取材(ダイヤモンド社・林えり、構成・文:照宮遼子)