地下鉄サリン事件の衝撃が冷めやらぬ1995年3月30日、警察庁長官の国松孝次氏が自宅マンション前で銃撃され、重傷を負うという未曾有の事件が発生しました。あれから30年近く経った今も、犯人は捕まっておらず、事件の全貌は闇に包まれたままです。本記事では、膨大な捜査資料と関係者への長年の取材から、この未解決事件の真相に迫ります。
オウム真理教と社会不安の高まり
バブル崩壊後の日本社会は、経済的な不安定感に加え、オウム真理教の台頭という新たな影に覆われていました。教団の奇妙な儀式や教義、そして家族を捨てて出家する信者の増加は、社会問題として大きく取り上げられました。当時、メディアは連日オウム真理教の動向を報道し、国民の不安は増大する一方でした。
※国松長官狙撃事件当時の報道写真
教団は、宗教法人という立場を悪用し、武装化を進めていました。教祖である麻原彰晃は、批判的な意見を持つ者を排除するため、暴力的な手段も辞さない姿勢を示していました。坂本弁護士一家殺害事件(1989年)や松本サリン事件(1994年)など、凶悪事件への関与も疑われ、警察の捜査網が徐々に狭まりつつありました。
地鉄サリン事件と警察の対応
1995年3月20日、オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生。首都圏の地下鉄でサリンが散布され、多くの死者・負傷者が出ました。この未曾有のテロ事件は、日本社会に大きな衝撃を与え、国民の間に更なる不安と恐怖が広がりました。警察は、事件の全容解明と犯人逮捕に向けて、総力を挙げて捜査を開始しました。
山梨県上九一色村にある教団施設周辺の土壌からサリン成分が検出されたという報道もあり、警察は教団への強制捜査を計画していました。しかし、その矢先に地下鉄サリン事件が発生。警察は、事件直後の混乱の中、3月22日に教団施設への強制捜査に踏み切りました。
国家中枢への攻撃:国松長官狙撃事件
地下鉄サリン事件からわずか8日後の3月30日、警察庁長官の国松孝次氏が自宅マンション前で銃撃されるという衝撃的な事件が発生しました。治安維持の責任者である警察庁長官が狙撃されたことは、国家中枢への攻撃であり、日本社会に更なる動揺をもたらしました。「公安調査庁元幹部・A氏」の見解によれば、「国松長官狙撃事件は、オウム真理教による組織的犯行である可能性が高い。教団は、警察の捜査を撹乱し、社会不安を煽る目的で、この事件を実行したと推測される。」とのことです。
未解決事件の真相と教訓
国松長官狙撃事件は、2010年に時効を迎え、未解決事件となりました。事件の真相は未だ解明されておらず、多くの謎が残されています。「犯罪心理学専門家・B教授」は、「国松長官狙撃事件は、日本の治安史上における大きな転換点となった。この事件を教訓として、テロ対策の強化や情報収集体制の整備など、様々な対策が講じられるようになった。」と述べています。
この事件は、我々にテロの脅威と未解決事件の重みを改めて認識させます。そして、事件の真相究明と再発防止に向けた取り組みの重要性を強く訴えかけています。