横田めぐみさん拉致事件:60歳の誕生日を迎えて、家族の27年間の苦悩と希望

平壌の街並み。横田めぐみさんが暮らしていたとされる大陽里地区の風景平壌の街並み。横田めぐみさんが暮らしていたとされる大陽里地区の風景

1977年、中学1年生だった横田めぐみさんが新潟市で忽然と姿を消してから、46年もの歳月が流れました。2024年10月には60歳の誕生日を迎えましたが、未だ帰国の見通しは立っていません。北朝鮮による拉致被害者として認定されてから27年、ご家族は想像を絶する苦悩の中で、愛娘の帰りを待ち続けています。今回は、横田早紀江さんが綴った手記『めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる』(草思社文庫)を元に、めぐみさんが北朝鮮にいるという衝撃の事実を知るまでの、ご家族の葛藤と希望の軌跡を辿ります。

突然の失踪、そして20年間の空白

1977年11月15日、いつものようにバドミントン部の練習に向かっためぐみさんは、そのまま行方が分からなくなりました。突然の失踪に、家族は深い悲しみと不安に苛まれました。警察に捜索願を出しましたが、有力な情報は得られず、20年もの間、めぐみさんの消息は闇に包まれたままでした。

早紀江さんは当時を振り返り、「神様に祈るしかない」という思いで日々を過ごしていたと語っています。二人の弟妹を育てながら、希望を捨てずに祈り続ける日々は、どれほどの苦しみだったでしょうか。

1997年1月、北朝鮮からの衝撃の知らせ

深い悲しみの中、ようやく心の整理をつけ始めた矢先、1997年1月21日、思いもよらぬ知らせが届きます。めぐみさんが北朝鮮にいる可能性が浮上したのです。

当時、早紀江さんと滋さんは、この知らせを「青天の霹靂」と表現しています。20年間、何の手がかりもなかった娘の消息が、突如として北朝鮮という国と結びついたのです。あまりにも衝撃的な事実に、ご家族は混乱し、事態を理解するのに時間を要しました。

滋さんのメモ:事実確認への奔走

几帳面な滋さんは、この日から詳細なメモを取り始めました。めぐみさんが北朝鮮にいるという情報を確信に変えるため、あらゆる手段を尽くして事実確認に奔走します。

当時の状況は、まるで嵐の渦中にいるようだったと早紀江さんは語っています。一つ一つの出来事にどのような意味があるのか、当時は理解できなかったと言います。

拉致問題の長期化:家族の苦悩と希望

北朝鮮による拉致が公式に認められてから27年が経ちますが、めぐみさんを含む多くの拉致被害者は未だ帰国を果たせていません。家族は今もなお、愛する家族との再会を願い、活動を続けています。

拉致問題の解決は、日本政府にとって喫緊の課題です。一日も早い拉致被害者の帰国実現に向けて、全力を尽くす必要があります。

めぐみさんの帰りを願って

横田めぐみさんの60歳の誕生日を機に、拉致問題の現状を改めて認識し、一刻も早い解決を願う声が全国に広がっています。風化させてはならないこの問題を、私たち一人ひとりが真剣に考え、行動していく必要があるのではないでしょうか。