四千頭身・後藤、ブレイク当時は「調子に乗ってた」 タワマンへの憧れ「もうありません」


2年間休みが取れないほど多忙だった

【写真】並べて見るとまるで別人!? 12キロ増の四千頭身・後藤の比較ショット

 2016年結成の若手ながら“お笑い第7世代”の一角として人気を博した四千頭身は19年、20年と2年連続でブレイク芸人ランキングのトップ10入り。CM出演も次々と決まっていた。スケジュールは毎日埋まり、ブレイク中の2年間は一日も休みがなかった。

「当時は休みが2年くらい1日も取れなかったんですよね。昼間だけ仕事の日を休みに思っているぐらいでした。あまり一日のスケジュールも覚えていないくらい忙しかったです」

 読売新聞の夕刊「popstyle」での連載は19年からスタート。執筆はロケバスの車内などの移動中。「正直面倒くさいっていう時期もありました。2つやっていた時期もあったんですけど1つになってからは調子よくなったんです。ちょうど月末のネタがないときに締め切りがやってきてたんですよね」と当時の多忙ぶりをうかがわせた。

 トリオ結成4年目となる20年にタワーマンションへ引っ越した。ステータスとも言える田園都市線沿いの18階。

「部屋の広さは1LDKの40平米ぐらい。でも生活は変わらなかったですよね。ただ高い位置に住んでるだけ。景色は初日だけ感動しました。でもすぐに飽きたんです。降りるのが面倒で外にも行かなくなって、部屋にいても景色がずっと空なのが落ち着かなくて、窓も締め切ってました。首都高が見えるんですけど、あれは嫌だったな(笑)」

 エレベーターが止まるとより生活は不便になる。ウーバーイーツで配達を依頼するが、階段で18階まで昇ってくる配達員を思い、自らが9階まで下りて受け取ったという。

「タワマンへの憧れはもうありませんね」とぼそり。「引っ越すと死んだことにされるので(笑)」とネット上の悪質まとめサイトに死亡説を流されたことを付け加えた。



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