〈なぜ銀座のママから神社の宮司に? “新米宮司”の女性が語る壮絶すぎる半生「母の借金返済のため16歳でスナックに」「新しい父は酒乱で私にだけ…」〉 から続く
【画像】ターバンを巻いたアラブの要人を着物姿でもてなす、ドバイ時代の村山陽子さんをみる
銀座のママを経て、現在は奈良県御所市にある駒形大重神社の宮司を務める“異色の神職”がいる。村山陽子さんは29歳のとき、大阪・北新地で自らお店を構えるオーナーママになったが、学び直しを決断し、35歳で早稲田大学の学生となった。
しかし、生活が激変し、“鬱”の日々を送るように。北新地のクラブママから学生へ。海外事業の失敗を経て、再びママとして銀座へ。紆余曲折の人生を歩んだ彼女は、どうして神職へと導かれたのか――。(全3回の2回目/ 続きを読む )
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――村山さんは、29歳のときに大阪・北新地にご自身のお店を構えます。しかし、先ほどお話しされたように、当時付き合っていた彼氏の方をきっかけにお金を失ってしまったと。
村山さん(以下、村山) お店をするために借りた資金の返済があり、その上、予期せぬ攻撃を受け裁判となった時には、よほど私は前世でその人に悪いことをしたのだと思いました(笑)。ただ、その様な状況でも、10代の頃はもっと大変な思いをしていたので、「大したことはない」って思っていました。それに、悪いことの後は良いことがあると、自分に言い聞かせておりました。そして、主人との出会いがありました。当時、企業勤めだった彼は雰囲気が亡き父に似ていて、ファザコンだった私は主人に一目ぼれでした。それまでは派手な相手と交際をしていたため、自分でもまさかこういう人と付き合うとは思っていなかったのですが、彼と付き合い始めたことで、自分が何のためにこの世界に入り、その後に何をやりたかったのかを思い出すきっかけとなりました。
ママをやりながら定時制高校に通学
――勉強したかったことを思い出させてくれたわけですね。派手な交際を続けていたら、また同じようなことが起こりかねないとも思いますよね。
村山 いつまでこの生活を続けるのだろうかと。とはいえ、私自身、稼がないといけないことに加え、お店のスタッフの人生もありますから、すぐにお店を閉めることは出来ませんでした。一方で、大学に進学したいという気持ちが強くなり、お店を経営しながら大検(大学入学資格検定/現在の高等学校卒業程度認定試験)の取得を目指して、定時制高校にも通い単位を取得しました。このことはスタッフには言えなかったのです。当時は、主人との結婚も考えていたので、お店を閉めて結婚し、大学を目指す……自分だけが幸せになりますと宣言するようで。しかも、スタッフの中には私が係争中でお金がないと思ったのか「ママ、これぐらいだったら用意できます」と言ってくれる、本当に良い子たちに恵まれていたこともあり、1年間切り出せなかったのです。