韓国の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領逮捕適否審査が棄却された後、過激支持者が行ったソウル西部地方法院(地裁)暴力事態の傷痕がまだ癒えない。特定の判事に狙いを定めるいわゆる「座標取り」など、司法府に対する攻撃は過去にも繰り返し発生していたが、裁判所に対して大規模な暴力事態が起きたのは前例のないことだ。
◇判事に対して石弓(クロスボウ)テロに平手打ちも…司法府攻撃の歴史
訴訟の当事者が裁判所を攻撃した事例は過去にも繰り返し発生した。最も良く知られた事例は俳優アン・ソンギ主演の映画『折れた矢』でもよく知られた「判事石弓テロ事件」だ。2007年1月、成均館(ソンギュングァン)大学のキム・ミョンホ助教授は復職訴訟1・2審で敗訴すると、これに不満を抱いて控訴審の裁判長であるパク・ホンウ部長判事の家の前まで行って石弓の矢を放った。矢はパク部長判事の腹部に深さ1.5センチほどの傷を残し、キム助教授は2008年大法院(最高裁)で懲役4年が確定した。
2005年釜山(プサン)地裁では40代女性が判事室を訪ねて行って2~3分にわたって判事に罵声を浴びせ、判事の頬を平手打ちするなど暴行を加えた。この女性は自身の裁判進行に不満を抱き、請願人を装って臨時出入証の発給を受けたことが分かった。2004年9月には連続殺人犯ユ・ヨンチョルが裁判の進行が遅いとして裁判部に抗議し、判事席に飛び込んで法廷警衛によってかろうじて取り押さえられる事件もあった。
政治的・理念的理由で裁判所を攻撃する事例も今回が初めてではない。1958年7月には竹山(チュクサン)曺奉岩(チョ・ボンアム)が「進歩党事件」で懲役5年の宣告とあわせて一部有罪判決を受けると「反共青年会」のメンバー200~300人が最高裁に乱入した。1988年12月には全南(チョンナム)大学・朝鮮大学生200人余りが「全斗煥(チョン・ドゥファン)・李順子(イ・スンジャ)拘束処断」を叫んで光州(クァンジュ)地裁に殺到した。火炎瓶や石などが動員されたこのデモで裁判所の窓ガラス約20枚が割れた。
◇「座標取り」式オンラインテロに引き続き暴力事態
最近問題になったのは政治家事件を担当した判事に対する「座標取り」式のオンラインテロだった。2019年いわゆる「曺国(チョ・グク)事態」当時、曺元長官の過激支持者は情景芯(チョン・ギョンシム)元東洋(トンヤン)大学教授に拘束令状を発付した判事の個人情報を共有して「ごみ判事」「積弊判事」など非難を浴びせた。新自由連帯は2023年、共に民主党の李在明(イ・ジェミョン)代表の拘束令状を棄却したユ・チャンフン中央地裁令状専門担当部長判事の写真が入った横断幕を瑞草洞(ソチョドン)に掲げたこともある。
しかし1980年代以降、裁判所で大規模な暴力事態が起きたのは今回が初めてだ。19日午前3時ごろに発生した暴力事態で、ソウル西部地裁では約6~7億ウォン(約6450~7525万円)の被害額が発生した。外壁の壁材や窓ガラス、コンピュータモニターや防犯カメラ保存装置、机などの什器と内部の展示美術作品が毀損された。一部加担者は放火を企てた。警察や取材陣、現場を通りかかった市民も暴行を受けた。この日夜の暴力事態で90人が現行犯逮捕され、このうち61人が共同建造物侵入、特殊公務執行妨害などの容疑で拘束された。加担者に対する捜査が続く渦中にも、判事は保守集会で攻撃と誹謗の対象になっている。尹大統領に拘束令状を発付した車恩京(チャ・ウンギョン)部長判事、尹大統領の逮捕令状を発付して逮捕適否審査を棄却した判事がその対象だ。
ソウル西部地裁は外壁修理など復旧作業の真っ最中だが、法曹界に波及した影響は今も強く残る。警察は西部地裁と中央地裁、憲法裁判所などに対する警戒を強化した。ある部長判事出身の弁護士は「一方では尹大統領側の弁護団を含む法曹人がたびたび支持者をあおる側面があるが、望ましくない」とし「裁判所で出した結果が気に入らないといって暴力で解決しようとすれば法の存在理由がなくなる」と指摘した。