昭和を駆け抜けた天才芸人、横山やすし。その笑いの才能は誰もが認めるところでしたが、私生活では数々のトラブルに見舞われ、波乱万丈の人生を送りました。飲酒、暴言、そしてヤクザとの交際…世間を騒がせた数々のエピソードの裏側には、一体何があったのでしょうか?元極道の竹垣悟氏が、兄弟盃を交わしたやすしとの知られざる思い出を赤裸々に語ります。
酒と借金に溺れた天才芸人、横山やすし
やすしは芸人として類まれなる才能を持っていましたが、酒とギャンブルに溺れ、借金に追われる日々を送っていました。稼いだお金はたちまち酒に消え、その結果、体を壊してしまうことも少なくありませんでした。
alt="横山やすしと竹垣氏が兄弟盃を交わしている写真"
当時、やすしは借金取りから逃れるため、中野会会長の名を勝手に使っていたそうです。中野会会長とやすしは面識がある程度だったにも関わらず、その名を利用していたことに会長は激怒。竹垣氏は会長から「私の名前を使うな」と命じられ、やすしの借金問題を解決するため、自ら舎弟盃を与えたのでした。
破天荒ながらも憎めない男、その人間味あふれる素顔
破天荒な生き様で世間を騒がせたやすしですが、竹垣氏は彼の人間味あふれる一面も見てきました。酒に溺れ、借金に苦しみながらも、芸人としての情熱を失わず、常に笑いを追求していたやすし。その姿は、多くの人々を魅了しました。
やすしの死後、竹垣氏はすぐに弔問に訪れ、深い悲しみを覚えたといいます。通夜と告別式には、師匠である横山ノック氏をはじめ、2000人以上もの人々が参列し、やすしの人気の高さを改めて実感したそうです。
天才ゆえの苦悩、そして早すぎる死
やすしは天才であるがゆえに、大きなプレッシャーを抱えていたのかもしれません。酒と借金に溺れたのは、そうした苦悩からの逃避だったのかもしれません。
現代社会では、芸能人の私生活に対する世間の目は厳しくなっています。もしやすしが現代に生きていたら、さらに厳しい状況に置かれていたことでしょう。しかし、昭和という時代だからこそ、やすしのような破天荒な芸人が許容され、愛されたのかもしれません。
やすしの早すぎる死は、多くの人々に衝撃と悲しみを与えました。しかし、彼の残した数々の笑いは、今もなお人々の心に生き続けています。
芸人、横山やすしの生き様から学ぶこと
やすしの人生は、まさに光と影が交錯する人生でした。彼の生き様は、私たちに多くのことを考えさせてくれます。成功と挫折、才能と苦悩、そして人間としての弱さ…やすしの物語は、私たち自身の生き方を振り返るきっかけを与えてくれるのではないでしょうか。
竹垣氏の証言を通して、私たちは横山やすしという人物の新たな一面を知ることができました。笑いの天才、そして破天荒な人生を送った男の知られざる素顔。それは、昭和という時代を象徴する、忘れられない物語です。