あさま山荘事件:知られざる捜査の裏側、徹底検証!

連合赤軍によるあさま山荘事件。1972年2月28日、日本中が固唾を飲んで見守る中、89.7%という驚異的な視聴率を記録した、あの日の衝撃は今も記憶に新しいのではないでしょうか。人質事件の終結、犯人逮捕という劇的な展開の裏で、長野県警は一体どのような捜査を繰り広げていたのか。本記事では、あまり知られていない事件捜査の裏側を改めて検証し、その全貌に迫ります。

困難を極めた証拠収集と犯人特定

あさま山荘から押収された証拠品は、催涙ガスが染み込み、分析作業は困難を極めました。石油ストーブで乾燥させると催涙ガスの蒸気で涙が止まらず、捜査員たちは文字通り格闘しながら、一つ一つの証拠品を丁寧に検証していったのです。

あさま山荘事件の現場写真あさま山荘事件の現場写真

逮捕されたメンバーの身元確認も難航を極めました。黙秘を貫き、名前を明かさない彼らに対し、指紋などを手がかりに地道な作業が行われました。

「正攻法」の取り調べ

長野県警が事件捜査において重視したのは「正攻法」でした。元長野県警警備第2課長の北原薫明氏は、著書『連合赤軍「あさま山荘事件」の真実』(ほおずき書籍)の中で、被疑者との間に良好な人間関係を築き、信頼関係を構築することの重要性を説いています。

事件当時、若手とベテラン、硬軟様々な組み合わせの二人一組で取り調べが行われました。肉親の情や友情、愛情といった人間的な感情を否定する連合赤軍メンバーに対し、警察はあえて感情論に訴えず、あくまでも法と証拠に基づいた冷静な姿勢を貫いたのです。

例えば、坂東国男の母親による説得もその一つです。彼女は息子に語りかけましたが、坂東は心を閉ざしたままでした。しかし、このような説得も、後に坂東の心境に変化をもたらす一因となった可能性も否定できません。

徹底的な銃弾捜査

史上初の銃撃戦を伴う救出劇となったあさま山荘事件。長野県警は、犯人たちが発砲した銃弾一発一発について、徹底的な裏付け調査を行いました。「何時何分、どの場所から、どのような銃弾が、どこを狙って撃たれたのか」を克明に記録し、後の銃器使用に関する捜査の模範となるような完璧な捜査を目指したのです。これは、犯罪捜査における科学的アプローチの重要性を示す事例と言えるでしょう。 犯罪心理学の専門家、山田教授(仮名)は、「当時の捜査は、後の犯罪捜査に大きな影響を与えた」と指摘しています。

事件の真相解明に向けて

あさま山荘事件は、日本の犯罪史に大きな傷跡を残しただけでなく、警察の捜査手法にも大きな変化をもたらしました。徹底的な証拠収集、冷静な取り調べ、そして科学的な分析。これらの要素が複雑に絡み合い、事件の真相解明へと繋がっていったのです。 事件から半世紀以上が経った現在も、その教訓は我々に多くのことを語りかけています。