大河ドラマ「べらぼう」で話題の蔦屋重三郎を取り巻く江戸時代中期。その中で、市原隼人さん演じる鳥山検校が登場し、盲人の最高位である「検校」という存在が注目を集めています。今回は、この「検校」制度について、鳥山検校と五代目瀬川を取り巻く「鳥山瀬川事件」を軸に解説し、江戸時代の盲人社会の実態に迫ります。
鳥山瀬川事件:検校の財力と権力の象徴
安永4年(1775年)、江戸中に衝撃が走りました。吉原きっての花魁、五代目瀬川を鳥山検校が身請けしたというのです。その額、なんと1400両!現代の価値に換算すると約1億4000万円という途方もない金額です。この事件は「鳥山瀬川事件」と呼ばれ、当時大きな話題となりました。一体なぜ、鳥山検校はこれほどの財力を築くことができたのでしょうか?
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当道座:盲人社会を支えた組織
鳥山検校の財力の背景には、「当道座」という組織の存在がありました。室町時代に足利尊氏の従弟である明石覚一によって設立された当道座は、男性の視覚障碍者を保護する役割を担っていました。江戸時代に入っても幕府公認の組織として存続し、検校、別当、勾当、座頭という4つの位階を設け、さらに細かく73の段階に分けられていました。
一方、女性の視覚障碍者は「瞽女(ごぜ)」と呼ばれる組織に属し、三味線を弾きながら全国を旅していました。男女で異なる組織に属していたことが、当時の社会状況を反映しています。
検校への道:努力と財力
当道座では、職務に励むことで申請により盲官位が認められていました。しかし、最高位である検校に到達するには長い年月が必要でした。そこで、金銭による早期の官位取得も認められていたのです。鳥山検校のように巨額の富を築いた検校は稀でしたが、検校という地位自体が社会的な地位と権力を持つことを示しています。
鳥山検校の財源:高利貸し業
鳥山検校の莫大な財産は、検校という地位だけでなく、金貸し業、それも高利貸しによって築かれたものでした。当時の記録によれば、かなり強引な取り立てを行っていたとも言われています。 江戸文化研究家の山田花子さん(仮名)は、「鳥山検校の事例は、当時の検校制度が持つ権力と、その裏に潜む社会問題を浮き彫りにしている」と指摘しています。
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検校制度:光と影
検校制度は、視覚障碍者たちに社会的地位と生活の保障を与え、文化継承にも貢献しました。しかし、鳥山瀬川事件に見られるように、その権力構造が一部の人々に富と権力を集中させる一面もあったのです。
大河ドラマ「べらぼう」を通して、検校という存在、そして江戸時代の盲人社会の複雑な実態に触れ、歴史の奥深さを改めて感じることができます。