連邦最強パイロット、テネス・A・ユングの真実:アムロ超えの撃墜王の伝説

ガンダムの世界で「エースパイロット」といえば、アムロ・レイやシャア・アズナブルといった名前がすぐに思い浮かびます。しかし、一年戦争で最も多くのモビルスーツを撃墜したのは、実は彼らではありません。 知られざる英雄、テネス・A・ユング。その驚異的な撃墜数149機を誇る彼の伝説に迫ります。

キューバ出身の若者が宇宙のエースへ

テネス・A・ユングは、キューバの貧しい家庭に生まれ育ちました。幼い頃からパイロットを夢見て、宇宙世紀0073年に地球連邦軍に入隊。0076年には念願のパイロットとなり、大空を駆ける日々を送っていました。

そして0079年、一年戦争勃発。テネスは宇宙戦闘機パイロットに転向し、戦闘機「FF-4 トリアーエズ」で初陣を飾ります。卓越した操縦技術と戦果で頭角を現した彼は、その後モビルスーツパイロットへと抜擢されます。

FF-4 トリアーエズFF-4 トリアーエズ

量産機ジムでジオンを圧倒!その秘密は「ハイパー・バズーカ」

連邦軍初の量産型モビルスーツ「ジム」を受領したテネス。彼は一般的なビーム・スプレーガンではなく、高火力のハイパー・バズーカを装備することを選択しました。その類まれなる射撃センスとバズーカの破壊力は、戦場で凄まじい相乗効果を発揮。ジオン軍のモビルスーツを次々と撃破し、瞬く間にエースパイロットへと駆け上がっていきます。

ガンダム研究の第一人者、佐藤博士(仮名)は、「テネスの射撃能力は、天性の才能とたゆまぬ努力の賜物と言えるでしょう。特に、ハイパー・バズーカの扱いに長けていた点は、彼の戦果に大きく貢献したと考えられます」と分析しています。

オデッサ作戦後の「モグラ叩き」で名を上げる

地球でのオデッサ作戦後、宇宙に敗走するジオン軍への追撃任務、いわゆる「モグラ叩き」に従事したテネス。非武装の輸送機や地上用モビルスーツを相手に、圧倒的な戦果を挙げ、その名を連邦軍全体に轟かせました。

エースの証、ジム・スナイパーカスタム

数々の戦功が認められ、テネスはついにカスタム機「ジム・スナイパーカスタム」を受領し、狙撃部隊へと転属。精密な射撃でさらに撃墜数を伸ばしていきます。ソロモンの戦いではジオンのエースパイロットと激闘を繰り広げ、機体を中破させられるも、その実力は誰もが認めるところとなりました。

ジム・スナイパーカスタムジム・スナイパーカスタム

ア・バオア・クー攻略戦、そして戦後

最終決戦、ア・バオア・クー攻略戦では「ジム・コマンド」に搭乗。僚機と共にジオン軍の超巨大空母ドロス級を撃沈するなど、勝利に大きく貢献しました。戦後もジオン残党軍との戦闘に参加し、連邦軍の英雄として活躍を続けたと言われています。

テネス・A・ユング、その伝説は語り継がれる

アムロ・レイの撃墜数を上回る149機という驚異的な記録を持つテネス・A・ユング。その名は、ガンダム史に燦然と輝く伝説として、今もなお語り継がれています。