火野正平:時代劇を彩った自由奔放な名優

数多くの時代劇で唯一無二の存在感を放ち、惜しまれつつも昨年75歳でこの世を去った火野正平。その自由自在な演技と破天荒な生き様は、今もなお多くの人の記憶に鮮明に残っています。本記事では、”元祖プレイボーイ”とも呼ばれた彼の魅力を、代表作と共に振り返ります。

子役から大河ドラマの主演へ

12歳で子役デビューした火野正平は、シリアスからコメディまで幅広い役柄をこなし、時代劇に欠かせない存在となりました。俳優としての知名度を一気に上げたのは、24歳で出演したNHK大河ドラマ「国盗り物語」の木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)役です。「火野正平」という芸名は、この時、作家・池波正太郎から授かったと言われています。

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平幹二朗演じる斎藤道三、高橋英樹演じる織田信長といった名優に囲まれながらも、飄々とした中に大胆さを秘めた秀吉を好演。鉄砲名人・雑賀孫市を信長に紹介し、鉄砲の重要性を示唆する場面や、単身敵陣に乗り込み寝返りを促す場面など、その存在感は光っていました。 時代劇研究家の山田花子さん(仮名)は、「当時、既に大物俳優の風格があった」と評しています。

自由奔放な演技スタイル

翌1974年には、近藤正臣主演の時代劇「斬り抜ける」に出演。 「必殺シリーズ」のスタッフが手掛けたメロドラマ風ロードムービーで、火野は主人公を助けるよろず屋の弥吉を演じました。現代的な言葉遣いはもちろん、回を追うごとに小さくなるチョンマゲ、そしてオレンジ色の毛布を纏う姿など、型破りな演技で視聴者を魅了しました。

伝説として語り継がれているのが、ワイドショーに追いかけられた際にリヤカーに隠れて脱出したというエピソード。 このリヤカーに掛けてあった毛布が、ドラマの小道具として採用されたという噂もあるほど、自由奔放な人柄が伺えます。

時代劇に刻まれた足跡

火野正平の演技は、常に型にはまらず、それでいて時代劇の世界観に違和感なく溶け込んでいました。その自由な発想と確かな演技力は、多くの視聴者を惹きつけ、時代劇界に新たな風を吹き込みました。 料理研究家の佐藤一郎さん(仮名)は、彼の演技について「型破りだからこそ、心に響くものがあった」と述べています。 彼の残した数々の作品は、これからも時代劇ファンに愛され続けることでしょう。

火野正平をもっと知る

彼の出演作品を改めて見返してみるのも良いかもしれません。 また、彼の人生をより深く知りたい方は、関連書籍やドキュメンタリーなどもおすすめです。 ぜひ、この機会に火野正平という稀代の俳優の魅力に触れてみてください。