支える家族が、生き方を教わっていた サリンの後遺症“さっちゃん”との時間 地下鉄サリン事件30年


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■一命はとりとめたものの…

中学校の卒業証書、ネックレス、小さい頃からの写真。事件前まで幸子さんが書き続けていた日記もあった。「やっぱり日記帳っていうのは読めない。なので、僕もどうしようかなと思いつつ…」と、悩む一雄さん。

1995年3月20日の朝、31歳だった浅川幸子さんは、勤務先の研修に向かう途中、サリン事件に巻き込まれた。一命はとりとめたものの、言語障害と全身マヒの重い後遺症が残った。

■医師が「ひどい状況なので…」

救命医療センターの一番奥にある病室。夕方になってようやく会うことができた幸子さんの体はビクンビクンとけいれんを起こし、口からは時々泡が出ていた。体にはたくさんの機器がつながれていた。

「大丈夫?」と体に触れようとしたが、看護師から「ひどい状態なので、触らないでください!」。毒物の中毒で、いつ亡くなってもおかしくない状況だと医師がいう。一雄さんは、病院で一夜を明かした。

なぜ妹がこんな目に遭わなければいけないのか。どうして日常が一変してしまったのか。どこに怒りをぶつけていいのか。すべてが、分からなかった。

■メモ帳で始めた日記 回復したら“伝えたい”

しかし、幸子さんは、立ち上がることも、自由に会話することもできなくなった。2003年からは、一雄さんの自宅で療養を続けた。しかし、症状は次第に悪化していった。



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