【常磐路ノート】殉職警察官の教え胸に

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 職務に従事中、命を落とした茨城県警の警察官らをしのぶ「殉職警察職員慰霊祭」が1日、茨城町の県警察学校でしめやかに営まれた。

 これまでの殉職者は58人を数える。明治時代には洪水や日照りによる凶作で農民らが納税延期を求めて決起。茨城県庁などへ押しかけようとする暴動を阻止しようとして致命傷を負い、殉職するケースが続いた。

 明治から大正にかけてはコレラ、腸チフスといった感染症が蔓延(まんえん)した。状況把握や被害拡大を食い止める防疫活動中、自分が感染して亡くなる警察官も少なくなかった。明治後期には連続窃盗容疑者を逮捕しようとして格闘の末、亡くなる警察官も出た。地域のため、職務をまっとうしての殉職に地元の人々は「村葬」で報いたという。

 車の数が急増した戦後の昭和40年代以降は白バイで違反車両を追跡中の事故など、交通取り締まりでの殉職者も出た。パトカーが逃走中の容疑者の車に衝突され、乗っていた警察官が亡くなったこともあった。

 時代や状況は異なるが、どの殉職者も県民の安心で安全な生活を守ろうという志を最後まで持ち続けていたのは間違いないだろう。

 慰霊祭には今年も警察官1年目の県警察学校初任科生101人が参列した。「こうした先輩たちの礎があってこそ、今があることを胸に刻んでもらうためです」(県警警務部厚生課)。新鋭たちにもぜひ「県民のための警察官」を目指してほしい。(三浦馨)

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