【御巣鷹山】墜落現場の壮絶な光景…カメラマンが見た、日航機墜落事故の真実

1985年8月12日、日本航空123便墜落事故は、520名もの尊い命が失われた、日本航空史上最悪の事故として記憶に刻まれています。未曽有の惨事となった御巣鷹山の墜落現場は、一体どのような状況だったのでしょうか。報道カメラマンとして現場に立ち会った橋本昇氏が、新著『追想の現場』(鉄人社/高木瑞穂編)で、その壮絶な体験を語っています。この記事では、橋本氏の目を通して見た事故現場の様子、そして彼が感じた思いを紐解いていきます。

墜落現場の現実:散乱する遺体と遺品

橋本氏は、墜落現場で目の当たりにした光景を克明に描写しています。足の踏み場もないほどに散乱する遺体、燃え残った財布の中の家族写真…そこには、一瞬にして日常を奪われた人々の無念さが凝縮されていました。

alt: 墜落した日航機の残骸と、捜索活動を行う自衛隊員。alt: 墜落した日航機の残骸と、捜索活動を行う自衛隊員。

ヘリコプターの轟音、風圧、そして燃え上がる炎。そんな極限状態の中、警察官、自衛隊員、消防隊員たちは、黙々とそれぞれの任務を遂行していました。しかし、その表情からは、凄惨な現場を目の当たりにした衝撃と疲労が見て取れたと橋本氏は語ります。

疲れ果てた隊員たちと沈む夕日

夕日が山々に沈み、あたりが闇に包まれる頃、橋本氏を含む取材陣と残った隊員たちは、遺体を囲むように座り込みました。言葉もなく、ただ疲れ果てて、燃え上がる炎を眺めていたといいます。

過酷な状況下での長時間活動は、隊員たちの精神力と体力を限界まで奪っていました。橋本氏は、疲れ切った隊員の姿からも、この事故の甚大さを改めて感じたと振り返ります。

現場での衝撃的な出来事

極度の緊張と疲労の中、橋本氏はリュックから弁当を取り出し、近くのカメラマンに分けようと声をかけました。しかし、食べようとしたその時、足元に人間の足が落ちていることに気づきます。この出来事は、橋本氏に深い衝撃を与え、事故の悲惨さを改めて突きつけました。

事故の記憶を風化させないために

橋本氏は、この事故の記憶を風化させないために、自らの体験を語り継ぐことが重要だと考えています。 私たちも、この事故を教訓として、航空安全の向上に尽力していく必要があります。そして、犠牲となった方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。