韓国で相次ぐ朴正煕元大統領の銅像建設、賛否の根源にある「日本」の存在

韓国で近年、朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の銅像を建設する動きが相次ぎ、その数は韓国にある歴代大統領の銅像で最多となりました。しかし、これに対しては激しい反対運動も起きています。推進派と反対派、双方の話を聞くと、この深い対立の根底には「日本」の存在があることが見えてきます。韓国社会における朴正煕氏の評価を巡る論争は、日韓の歴史問題とも複雑に絡み合っています。

賛成派の主張:「漢江の奇跡」を成し遂げた近代化の立役者

韓国南東部の慶尚北道(キョンサンプクト)には、朴氏の古里である亀尾(クミ)市があります。同道の道庁前には、昨年12月に完成した朴氏の巨大銅像がそびえ立っています。建設を推進する団体を訪ねると、慶北(キョンブク)大名誉教授の金炯基(キム・ヒョンギ)氏(72)が応対してくれました。室内には朴氏と陸英修(ユク・ヨンス)夫人の写真が飾られています。金氏は、銅像建設の狙いを熱く語ります。「朴大統領は高度経済成長を成し遂げ、大韓民国の礎を築いた人物です。しかし、その業績が正当に評価されず、負の側面ばかりが批判される傾向にある。銅像を通じて、その偉大な業績を後世にきちんと伝える必要があるのです」。
朴氏は日本の植民地時代(1910~45年)の1917年に生まれ、日本が建てたかいらい国家「満州国」の士官学校を卒業後、満州国軍中尉として勤務しました。1948年の韓国独立後、韓国軍で台頭し、1961年に軍事クーデターで政権を掌握しました。

韓国亀尾市にある朴正煕元大統領の生家、入り口に朴氏と陸英修夫人の肖像パネル韓国亀尾市にある朴正煕元大統領の生家、入り口に朴氏と陸英修夫人の肖像パネル

強権体制と日韓国交正常化

朴政権下の1965年には、日本との国交正常化を実現させました。この際に日本から供与された「経済協力資金」5億ドル(現在のレートで約720億円)を元手に、輸出を重視した工業化を強力に推進。「漢江(ハンガン)の奇跡」と呼ばれる目覚ましい経済成長を牽引しました。その一方で、長期にわたる独裁や民主化運動への厳しい弾圧は、現在も激しい非難の対象となっています。1979年に側近によって暗殺されました。朴槿恵(パク・クネ)元大統領(在任2013~17年)は朴氏の長女です。
金氏は、「クーデターで政権を握ったのは事実ですが、当時の韓国は北韓(北朝鮮)との激しい敵対関係にあり、共産化を防ぐための強力な体制が必要でした。経済力で北朝鮮に劣っていた時代、闘争に打ち勝つためにはある程度の強権はやむを得なかったのです」と、当時の状況を説明し、朴氏の行動を擁護します。

歴代最多となった朴氏の銅像と「救国の英雄」李舜臣との比較

韓国紙「京郷(キョンヒャン)新聞」の報道などによると、現在韓国には歴代大統領の銅像が少なくとも60体存在します。そのうち、朴氏の銅像は計16体となり、2位の初代大統領・李承晩(イ・スンマン)氏(在任48~60年)の13体を抜いて最多となりました。特に、2023年以降に新たに5体が建設されており、金氏らの団体だけでなく、他の推進組織も活発に活動しています。大邱市や慶尚北道慶州市のように、市の予算で銅像を建設した自治体もあります。
金氏らの団体が推進した銅像は、個人や市民団体からの募金約20億ウォン(約2億3000万円)を集めて建設されたもので、その高さは約7メートルに及びます。これは、ソウル中心部に立つ李舜臣(イ・スンシン)将軍の銅像を意識し、わずかに高く設定されたとのことです。水軍を率いた李将軍は、16世紀末に朝鮮出兵した豊臣秀吉軍に大打撃を与え、「救国の英雄」として韓国で広く知られています。
台座を含めれば李将軍の銅像の方が高いものの、この高さ設定は「やり過ぎだ」との批判を招く恐れはないのでしょうか。この問いに対し、金氏は「朴大統領は、5000年の貧困を打破した韓国の『白頭大幹(ペクトゥテガン)』なのです」と訴えました。白頭大幹とは、北朝鮮の白頭山から韓国南部の智異(チリ)山まで朝鮮半島の背骨のように縦断する山脈を指し、「国の骨格を形作った英雄」という比喩で朴氏の業績を強調しています。

天を指さすポーズをとった韓国の朴正煕元大統領の銅像天を指さすポーズをとった韓国の朴正煕元大統領の銅像

反対派の主張:「親日派の独裁者」の銅像は撤去すべき

こうした銅像建設の動きに強く反発するのが、韓国社会の進歩派と呼ばれる人々です。韓国では、1987年の民主化を推進した勢力を源流とする進歩派と、李承晩、朴正熙両氏らの反共産主義・強権体制に起源を持つ保守派が長年対立してきました。現在の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は保守系の「国民の力」に属し、最大野党「共に民主党」前代表の李在明(イ・ジェミョン)氏は進歩派です。
銅像建設に反対する団体で幹部を務める厳昌玉(オム・チャンオク)氏(66)も、金氏と同じく慶北大の名誉教授です。「朴大統領が白頭大幹だと言うのか」と尋ねると、厳氏は憤りを隠さずこう答えました。「日本の元軍人であり、日本と結託した『親日派』は、絶対に白頭大幹などではありません」。
韓国政治の文脈において、「親日派」とは日本の植民地支配に協力した売国奴を意味する、極めて否定的な言葉です。厳氏は日韓の国交正常化についても、慰安婦や徴用工など「多くの歴史問題が未解決のまま行われた」と批判します。「民主化運動を弾圧した親日派の独裁者の銅像を、21世紀の今になって建設することは時代の精神に反する行為であり、直ちに撤去されるべきです」と、銅像の撤去を強く訴えました。

歴史観の衝突と現在の地域対立

厳氏が考える真の「白頭大幹」は、金大中(キム・デジュン)元大統領(在任98~03年)です。金氏は民主化運動の指導者として朴政権下で死刑判決を受け、獄中で過ごすなど過酷な弾圧に耐えました。後に民主化運動を経て大統領となり、2000年には北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記との初の南北首脳会談を実現し、ノーベル平和賞を受賞しました。
厳氏はさらに、植民地時代に中国などで独立運動を続けた金九(キム・グ)らの名を挙げ、「日本からの独立のために尽力した人々こそが白頭大幹に連なる系譜です。金大中大統領は、親日派(の朴正煕氏)による弾圧に耐え抜き、民主化に貢献した人物です」と、自身の歴史認識を語りました。
このように、朴正煕氏を巡る歴史観は推進派と反対派の間で真っ向から衝突し、両者が歩み寄ることは極めて困難な状況です。この歴史認識の深い相違こそが、現在の韓国における保守と進歩の政治的な分断の底流にあると言えます。それはまた、朴氏の出身地である南東部の嶺南(ヨンナム)地域(慶尚北道・慶尚南道や大邱など)と、金大中氏の古里である湖南(ホナム)地域(全羅<チョルラ>北道・全羅南道や光州など)といった地域間の対立の一因にもなっています。

今年は、朴政権下で実現した日韓国交正常化から60年の節目を迎えます。また、8月には日本による植民地統治の終焉から80年を迎えます。過去の歴史は今なお、韓国社会に根深い亀裂を残し、国民の間で激しい論争を引き起こしているのです。