浅草駅はすでに限界…「通勤地獄の解消」に挑んだ東武鉄道の“戦いの裏側”


【詳細な図や写真】東武鉄道は「ちょっと独特」? なぜか(写真:藤村憲司/アフロ)

東武鉄道は「ちょっと独特」と言えるワケ

 江戸時代からの繁華街・浅草をターミナル駅とし、複々線区間から複数の地下鉄に乗り入れがあるなど都心への通勤にも便利な一方、栃木県や群馬県まで特急を運行しているなど、他の鉄道会社とはやや異なる性格を持つ。また、東上線系統の路線もあり、地域輸送を担うローカル線としての役割も果たしているのだ。

 営業エリアは広域ゆえ、ちょっとしたJRくらいの存在にはなっている。閑散路線もあれば、稠密路線もあり、線区ごとに事情がある。それゆえに面白い、とも言える鉄道会社なのだ。

新宿・渋谷じゃない…東武鉄道の重要駅が「浅草」である理由

 もともと浅草エリアは戦前、新宿や渋谷などとは比較にならないほどの繁華街だった。浅草寺を中心にさまざまなお店が集まり、寄席などもあり、日々の楽しみの一大集積地だった。

 そんな下町の中心として多くの人が集まる浅草に、1931年5月東武鉄道は乗り入れた。この地に、頭端式ホーム(とうたんしき:直通運転の仕様とは異なり、行き止まりがある終点駅のホーム)のターミナル駅をつくったり、百貨店の入るビルも併設したりすることで、東武鉄道は繁栄することを目指していたのだ。

 創業時は北千住発着だったものが、業平橋(現在のとうきょうスカイツリー)まで延伸、虎視眈々と浅草への乗り入れを狙った。そしてそれは成功したのだった。

 しかしその後、東武鉄道のターミナル駅・浅草は、時代の変化とともに衰退していき、乗客視点で見ても「不便さ」の際立つ駅となってしまった。このターミナル駅の問題は、浅草エリアの街自体の魅力低下にもつながりかねないほど深刻であった。東武鉄道はどう対処したのか。



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