厚生労働省は、2025年度の生活保護制度の監査方針の第一に「権利侵害の防止」を掲げた。これは、不正受給対策一辺倒のこれまでの姿勢からの大きな転換である。前編「厚生労働省による生活保護監査の大転換、きっかけとなった2つの事件-福祉事務所による“人権侵害”」では、非人道的な行為を繰り返した桐生市事件を取り上げた。後編では、「申請主義の壁」という役所の常識を覆す判決について解説する。
申請がなければ対応しない「申請の壁」
25年1月24日、名古屋高等裁判所は「申請主義」という役所の常識を覆す判決を出した。NHKや朝日新聞、中日新聞などが報じているものの、前回の記事で取り上げた桐生市事件に比べると報道はずっと少ない。
しかし筆者は、生活保護行政に与えるインパクトは、少なくとも桐生市事件と同程度、場合によってより大きな影響を与えるものと考えている。
事件の概要をごく簡単に紹介しよう。
名古屋市の精神障害のある40代男性が、生活保護を利用していた。男性は13年に統合失調症を発症し、16年に生活保護を開始。同年11月に精神障害者保健福祉手帳2級(以下、「手帳」)を取得したにもかかわらず、19年7月に自身が問い合わせるまでの間、およそ2年8カ月間、障害者加算が支給されていなかった。
本来、手帳2級を取得すれば障害者加算として月額1万7870円が上乗せになる(名古屋市の場合で、金額は地域により異なる)。市は問い合わせ後、3カ月分のみを遡って支給した。19年7月に「申請」があったので、その時点から生活保護のルールで認められる範囲までさかのぼって支給したことになる。
本人からの申請がなければ対応しない。俗に「申請の壁」と呼ばれる、役所の典型的な対応である。
崩れた「申請主義の壁」
この対応に男性は納得せず、未払い分の補填を求めて国家賠償請求訴訟を起こした。
原告側となる男性の主張はこうである。福祉事務所は、手帳を取得するために必要な診断書の費用を支払っていた。支払った以上は、その後、手帳が取得できたかどうかを確認すべきところ、その調査を怠っていた。調査義務違反があったのだから、手帳取得当時にさかのぼって障害者加算の認定を行うべきである、と。
名古屋高等裁判所は25年1月24日、男性の請求を認め、市に約50万円の支払いを命じる判決を下した。名古屋市は上告せず、判決は確定した。
この判決によって何が変わるのか。
市は「障害者加算を求める申請がなかったので、加算は認定しなかった。申請を受け付けたあとは、ルールに則って加算を認定している」と主張した。この主張に対して、司法が『ノー』を突きつけたのである。
これは、完全ではないにしろ、「申請の壁」が壊れたことを意味する。