子どもが生まれれば、その健やかな成長と将来のために教育資金を準備することは、多くの親にとって当然の責務と考えられています。しかし、実際にどの程度の費用を投じるべきか、またその投資が必ずしも思い描いた子どもの将来に繋がるわけではないという現実は、時に親に重い問いを投げかけます。「まさか、ここまでお金がかかる上に、こんな結末になるとは…」と、想定外の現実に直面するケースも少なくありません。教育に注ぎ込んだ費用と、子どもの人生選択、そして家族関係の複雑な関係性について、ある父親の事例を通して見ていきましょう。
「自分のような苦労はさせたくない」〜貧困の連鎖を断ち切るため〜
「息子がこの世に生まれたとき、心に強く誓ったんです。自分と同じような苦労だけは絶対にさせたくない、と」 そう語るのは、地方の工場で働く会社員のAさん(仮名・56歳)です。Aさんの年収は約450万円。妻は週に4日パートに出ており、年収は約130万円と、世帯年収は約580万円で家計を支えてきました。Aさん夫妻は共に高校卒業が最終学歴で、特にAさん自身は、自身の学生時代や就職活動を「不遇だった」と振り返ります。
「本当は大学に進学したかった。でも、私の実家は6人兄弟でね。親に『金がない』の一言で、それ以上の話はできませんでした。就職先だって、選べるような立場じゃなかったんです。だから、自分の子どもには、せめて自由に、将来の選択肢を多く持てる人生を歩ませてやりたいと、固く決意したんです」
息子さんが小学校高学年になった頃から、Aさんは積極的に塾に通わせ始めました。息子が疲れて「今日は休みたい」と訴えても、「お前の将来のためだ」と叱咤し、無理にでも塾へ送り出したといいます。
教育費と息子との関係に思い悩む父親のイメージ
Aさん自身も、教育費を捻出するために並々ならぬ努力をしました。自分のためにはほとんどお金を使わず、趣味も持たず、毎月のお小遣いをわずか1万5,000円にまで切り詰めたのです。経済的に決して楽ではなかった状況でも、児童手当には一切手をつけず、さらに学資保険にも加入。妻とも協力し合い、少しずつでも着実に、息子さんの大学進学資金を積み立てていきました。
有名大学から一流企業へ内定 〜父の喜びと新たな期待〜
父親の並々ならぬ努力と犠牲、そして母親の協力のもと、息子さんは努力を重ね、誰もが知る有名大学に進学。そして卒業時には、いわゆるJTC(Japan Traditional Company)と呼ばれる大手企業から内定を獲得しました。この知らせを聞いたAさんは、文字通り飛び上がって喜んだといいます。
「これで、私自身の代でこの『底辺の連鎖』を断ち切れた。息子には私とは違う、明るい未来が待っている。そう心から信じました」
息子さんは就職を機に、会社の住宅補助が出るマンションで一人暮らしを始めました。Aさんは息子の成功を誇りに思い、今後の活躍を期待していました。しかし、就職してわずか1年ほどが経ったある日、息子さんから予期せぬ、そして信じがたい言葉を聞かされることになります。
突然の告白と、すれ違う親子の想い
「父さん、会社を辞めたいんだ。給料は今よりずっと下がると思うけど、恵まれない子どもたちを支援するNPOで働きたいんだ」
息子さんの突然の告白に、Aさんは思わず絶句しました。最近の若い世代はすぐに会社を辞めるとは聞いていましたが、まさか自分の息子に限ってそんなことがあるとは、夢にも思っていなかったのです。せっかく苦労して手に入れた安定した一流企業でのキャリアを、なぜ手放そうとするのか理解できませんでした。「そんな贅沢なことを言うんじゃない」と、Aさんは必死に息子さんを引き止めようとしました。
しかし、普段はおとなしい息子さんが、この時ばかりは一歩も引く様子を見せません。そして、堰を切ったように、これまで胸の内に秘めていた「本音」をAさんにぶつけてきたのです。
息子が明かした「本音」〜教育への重圧と失われた自由〜
息子さんが語ったのは、Aさんにとっては衝撃的な事実でした。
教育費のことで、両親がいつもお金の心配をし、夫婦喧嘩している姿を見るのが、子ども心にどれほど苦痛だったか。
父親の期待に応えようと、ただひたすら勉強にあけくれた子ども時代は、ちっとも楽しい思い出がなかったこと。
塾も、習い事も、そして大学進学や就職先も、すべて父親の言う通りにするしかなかったように感じていたこと。
もう、これ以上、誰かの期待に応えるためではなく、自分自身の心の声に従って、自分の人生を歩んでいきたいこと――。
息子さんは、有名企業での安定したキャリアよりも、自分が本当に価値を感じる活動に人生を捧げたいと願っていました。それは、教育への投資が「成功」したと信じていたAさんにとっては、全く想定外の「失敗」のように感じられました。
人生選択の結果と、家族の崩壊
息子さんの固い決意を知り、Aさんは最終的に息子の選んだ道を容認するしかありませんでした。しかし、心の底から息子の背中を押し、応援することはできませんでした。父親の複雑な感情を敏感に察したのか、息子さんとの間には少しずつ距離が生まれてしまったといいます。
さらに、この出来事を機に、長年連れ添った妻との関係にも亀裂が生じました。妻は「息子が幸せになると思って、色々なことを我慢してきた。でも、私たちの努力は、息子の本当の幸せとは違ったのかもしれないね」と語るようになり、結果として別居することになってしまったのです。
「一体、どこで間違えてしまったのかなと思います。自分のことは二の次にして、文字通り人生のすべてを子どもの教育に捧げてきました。それが親としての務めであり、息子の幸せに繋がると信じて疑いませんでした。でも、この結果です。息子がどう思っているか分かりませんが、父親として息子の幸せを願っていたのは、本当に真実なんです。それなのに……」
そう語るAさんの表情には、深い疲労と、埋めようのない寂しさが滲んでいました。教育への多大な投資と親の犠牲は、確かに息子を一流企業へ導きましたが、それは息子の本当の望みや、家族の幸せとは別の場所にあったのかもしれません。親の「良かれと思って」という行動が、子どもにとっての重圧となり、最終的に家族関係を崩壊させるという皮肉な現実が、ここにはありました。