大正生まれの小説家として、これまでさまざまな作品を世に送り出してきた佐藤愛子氏。101歳を迎えた彼女が、これまで映像化されてきた自身の作品について語る。※本稿は、佐藤愛子『老いはヤケクソ』(リベラル社)の一部を抜粋・編集したものです。
● 100歳を超えてわかる 友人を見送る気持ち
100歳を過ぎるあたりから、体力がだんだん衰えてまいりましたんでね。そうすると、いろんなことに対する意見もなくなってくる。
体力がなくなると、違ってくるんですよ。若いときみたいに、1つのことについて真っしぐらに喋るっていう勢いがなくなってきましてね。この前いったことと違うじゃないかっていわれる。そういわれても、そうだったかなと思うだけで。前は体力があったからなんでもなかったようなことが、いまは堪えられなくなっている。考えてみれば、自分はもうヨレヨレになって、昔のように世間に対する文句をいう資格がなくなっているんだと、沈黙するしかないんですよ。
いまはね、孫みたいに通訳する者が間にいませんと会話にならないんですよ。そういえば、ずいぶん昔、名古屋にきんさん、ぎんさんという100歳の双子姉妹がいらしたわね。覚えていますよ。あのころは珍しかったけど、いまは100歳の人なんて珍しくないでしょう。こうやって受け答えがきちんとできる100歳の人はあんまりいないかもしれませんが。
年を取れば取るほど、友だちがどんどんいなくなっていく。親や兄弟がいなくなるのは、年の順だから、先に死なれても仕方がないと思う。だけど、学校の同い年の友だちがね、仲よく青春時代を悪で通した相棒たちがきれいにいなくなる。
これはね、なんともいえない寂しさがあるんですよ。経験しないとわからないと思います。親しい同級生はみんないなくなりました。私は関西の出身ですから、東京に来てからは女学校時代の友人とはつきあいがあまりないんです。東京にいる同級生はほとんどいなくなりました。
● 肩書には「百嫗」 言葉に込めた想い
リベラル社から出ている私の本の帯は「もうすぐ一〇〇歳」とか「祝一〇〇歳」と変えてるんですね。99歳と100歳では全然違う。体力も衰えるし、頭ももうすっかり悪くなりました。記憶力がなくなった。これは大きいですね。
つまり、どんどんボケていってるんですよ。日常の細かいことがありますでしょ。眼鏡をどこに置いたかとか、今日は手伝いの人は来るのかとかすぐ忘れます。このインタビューのように、誰か人が来て話をしていると頭が活性化するんですよ。人と喋るのは好きですね。
「100歳になって、周囲の人たちは放っておかないでしょう」と言われることもありますが、もうそろそろ忘れられていますよ。
リベラル社の本では、肩書に「百嫗(ひゃくおうな)」という言葉を使いました。
『新装版 女の背ぼね』が最初かしら。その後、『新装版 そもそもこの世を生きるとは』と『増補新装版 老い力』の3冊のまえがきに使いましたね。
ただ100歳になったということだけど、「嫗」(年老いた女性の意)という漢字を使って「百嫗」とすると、感じが強まりますでしょ。文字面に迫力があります。やっぱり大正生まれの人間となるとそういうことになりますね。
この肩書を使うことはそうありませんよ。100年生きた人へ与えられる特権ですかね。
● 話題作『九十歳。何がめでたい』 執筆を後押しした人物とは
これまで、何度も断筆宣言をしてきました。そのときはもうダメだ、もう書けないと思うんですよ。でも、結局書きたくなってしまう。衝動なんですよ。無責任に書いていますから。
『九十歳。何がめでたい』は、『女性セブン』の連載ですね。書いたのは何年も前のことだから、覚えていません。
断筆宣言をしたのに、小学館の編集者の橘高真也さんが断っても断ってもやってきて。断筆したっていくら言っても、本気にしないんですよ。もう書けないって言っても、のらりくらりとかわされる。のんびりしてそうに見えて頑固なんです。橘高さんにつられて書いちゃったみたいなところがあったと思いますね。