【前後編の後編/前編からの続き】
石破茂首相(68)も前のめりだった消費減税に待ったをかけたのは森山裕自民党幹事長(80)だった。党内外の調整に欠かせぬ党ナンバー2には首相も頭が上がらない様子だが、意外にもその半生は知られていない。最年長で幹事長に就任した男の書かれざる履歴書とは。
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前編【「防空壕で生まれ、極貧の幼少期」 石破首相も頭が上がらない森山裕幹事長の知られざる素顔】では、森山氏の生い立ちについて、本人へのインタビューを交えて報じた。
1945年に「防空壕の中で生まれた」という森山氏は中学校を卒業後、働きながら定時制高校の夜間部を卒業。自動車販売関係の仕事を経て独立した。
75年、30歳の時に鹿児島市議補選で初当選。以来、7期連続で当選を果たす。当時、鹿児島市は旧鹿児島1区。鹿屋市を含む旧鹿児島3区では田中角栄元首相の最側近の一人、二階堂進元幹事長と党税調のドン・山中貞則元通産相が同じ自民党所属ながら覇を競っていた。
鹿児島市政関係者の話。
「森山氏が最初に食い込んだのが二階堂氏でした。森山氏は二階堂氏が鹿児島に帰ってくると、空港まで迎えに行くわけです。それで、車内で1週間分の地元に関する情報を報告する。そうやって覚えがめでたくなり、やがて森山氏は地元で二階堂氏の最側近だと見なされるようになった。そのうちに、地元の業者から陳情を受け付けて、二階堂氏に伝達する窓口になったのです」
「人を懐柔するのが抜群にうまかった」
大物代議士の威光を背景に、82年には37歳で市議会議長になった。
「あの頃、鹿児島市議会では2000円の寿司弁当は先輩議員が食べて、新人は市役所の一番安い300円の弁当を食べる習わしがあったのですが、ある新人市議が“この扱いの差はひどい”とぶちまけた。それを聞いた森山氏がその新人を議長室に呼んで、“これ食っていいぞ”と自分の弁当を食べさせたのです。以来、彼はすっかりほだされて、森山氏を慕うように。あの頃から、森山氏は人を懐柔するのが抜群にうまかった」(前出の鹿児島市政関係者)