今年1月14日に生誕100周年を迎えた三島由紀夫。1970年、自衛隊市谷駐屯地に立てこもり割腹自殺をするまで、その生涯は「昭和」と共にあった。
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ここでは、様々な角度から三島やその作品を見つめた 『21世紀のための三島由紀夫入門』 (新潮社)より一部を抜粋。生前の三島を知る、美輪明宏さんの語りを紹介する。
亡くなる1週間前に渡された、100本の薔薇の意味とは――。(全3回の1回目/ 続きを読む )
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欠点は「俺に惚れないことだ」
三島さんと初めて出会ったのは、私が国立音楽大学附属高等学校に通いながら、銀座の「ブランスウィック」でボーイのアルバイトをしていた16歳の時です。1階が喫茶店、2階がクラブになっているお店でした。三島さんはちょうど売り出し中の新人で、たしか出版社の方と一緒に2階にお見えになりました。それからほどなくして私が、やはり銀座にあったシャンソン喫茶「銀巴里(ぎんぱり)」の専属歌手になると、評判を聞いた三島さんが来てくださいました。
年齢は私が三島さんの10歳下で、私は、三島さんにとっては、自分の人生で出会ったことのないものを発見した、そんな感じだったのでしょう。ちまたでは、恋愛関係にあったのではないかとも言われましたが、そのような関係ではありません。三島さんによると、私には95パーセントの長所と5パーセントの短所があり、その5パーセントが95パーセントを吹き飛ばしてしまうほどの欠点なのだそうです。
「そんなすばらしい欠点って、いったいなんでしょう?」とお尋ねしてみたら、「俺に惚れないことだ」とおっしゃった。「ごめんなさいね。私、立派な方はどんなにいい男でも恋愛対象にはならないんです。三島さんはお生まれといい、才能といい、欠点がなさすぎます。私はかわいそうな人が好きなんです」と言うと、「君は誤解をしているぞ。君と別れて、雨の日に傘をさしてひとり帰る俺の後ろ姿を見てみろ。ふるいつきたくなるぐらいかわいそうだぞ」とおっしゃるから、大笑いしました。ふたりでいるとそんな冗談ばかり言っていました。