時代の価値観を反映した名広告たち
現在の広告は少しでも“不適切”な表現があると、“炎上案件”として世間から叩かれることになる。最近の例でいえば、カップ麵の『赤いきつね』アニメーションCMが“性的”だと叩かれた件や、『ゆうパック』の「絶対にすっぴんを見られたくない女」の動画CMが「女性をバカにしている」として炎上した件などが記憶に新しい。もとより「景品表示法」や「医薬品医療機器等法」などの規制で不当な表示や過大な表現はできないなど、縛りは多い。
【画像10点】何かがヘン…⁉ でもどこかクセになる明治・大正・昭和の広告集
では、コンプラが緩かった昔は広告表現が自由だったのかというと、決してそんなことはないようだ。『明治・大正・昭和の変な広告』(河出書房新社)の中で著者の福田智弘氏は次のように書いている。
《明治には日清戦争と日露戦争、大正には第一次世界大戦、昭和には第二次世界大戦がありました。戦時下では苦悩しながら事業が営まれ、その影響は広告展開にも及びました。当時独自の規制があったほか、社会に配慮した表現が求められました。
それゆえに、現在では不適切とされる表現や、商品とリンクしていないコピーなども多々見られます。そのものだけを見ると「変な広告」 ですが、時代背景を理解したうえで見ると、当時の価値観を知ることができます》
また、広告媒体も明治の初期には現代のチラシに近い「引き札」や店頭に貼るポスターがメインだった。明治の後期に新聞広告が登場し、大正から昭和の初期になって雑誌広告が庶民の目にもとまるようになる。テレビCMが登場するのは戦後のことだ。当時の印刷や制作技術からすれば、かなり表現できることは限られていたはずだ。
その表現手法の中で、可能なかぎりのアピールをしている明治・大正・昭和の広告は、現代のわれわれから見れば“変な広告”に見えるものも多い。だが、当時の時代背景などを考えれば、「変」どころか、現代のクリエイターたちも参考にするような点が多いのだ。『明治・大正・昭和の変な広告』の中から、そのごく一部を紹介する。
◆【令和でもお馴染みの恵比寿様がなぜか自転車に!?】東京ヱビスビール/日本麦酒 (明治中期)
『YEBISU』となったヱビスビールの恵比寿様といえば、釣り竿を肩に担いで鯛を小脇に抱えているポーズがお馴染みだ。だが、発売(明治23年)からしばらく経った明治中期のものと思われる引き札(チラシ)では東京ヱビスビールの旗を片手に、なぜか自転車に乗っているというレアな姿。ビールの配達? とも思ってしまうが、実は当時自転車はまだ比較的珍しい高級品だったとのことで、かなり“オシャレでイケてる”恵比寿様だったのかもしれない。ちなみにコピーの中に「切手も発売仕り候」と書いてあるのは現在のビール券のことと思われる。
◆【アートの世界の“元祖”エンジェル】森永の西洋菓子/森永製菓 1908(明治41)年
花咲く森の中の水辺で洋菓子の箱を手にとるヌード姿の婦人と傍らにたつ二人の天使。西洋絵画のようなタッチで描かれたポスターは当時『森永西洋菓子製造所』の名称だった森永製菓の広告だ。つまり、この二人のエンジェルは森永のエンゼルマークのリアルバージョンなのだ。この女神と思しきヌード姿の女性は乳首までリアルに描かれていた。森永西洋菓子製造所は1899(明治32)年の創業で、現在の社名になったのは1912(大正元)年だ。
◆【とにかく主張が強いデパートのポスター】帝都復興の第一線に立ちて/高島屋呉服店 1923(大正12)年
「帝都復興の第一線に立ちて」という物々しいヘッドコピーに、筆書きのような力強い赤と黒のコピーで埋めつくされたインパクト大のポスターは関東大震災があった大正12年に出されたもの。高島屋も被災して全焼したが、翌月には別の場所で営業を再開したという。コピーの「時代の要求=実質本位の百貨店として高島屋は面目を更(あらた)めて営業いたします」という文面はそういった意気込みを反映しているのだろうか。また「絶対堅牢・壮麗無比の新装成れる千代田館」「最も安全にして御出入りに便利なる一階と二階」という言葉が使われているのも震災の影響を偲ばせる。
◆【ものスゴいインパクトだけど…誰?】森永ミルクキャラメル/森永製菓 1935(昭和12)年
キャラメルの箱を手に満面の笑みを浮かべる力士の写真が強烈なインパクトを与えるこのポスター。あまりの押し出しの強さに「誰?」という感想しかないが、実はこの人は戦前の大横綱・双葉山定次。1934(昭和11)年からの69連勝、5場所連続全勝優勝という記録は現在でも破られていない。このポスターが出された当時は連勝記録更新中で、当時の日本人で知らない人はいない笑顔だったのだ。森永製菓は健康イメージと話題性をアピールするために起用したという。大谷翔平が出ているCMも100年近く経ったら「誰?」となるのかもしれない。
◆【厳しいようでちょっと優しい戦時下のポスター】何がなんでもカボチャを作れ/東京都 1944(昭和19)年
黄色いカボチャの大きなイラストの横に赤い文字で「何がなんでもカボチャを作れ」という力強いコピー。有無を言わせずカボチャを作ってしまいそうになるポスターだ。これは戦況が厳しくなり、食料事情が悪化した昭和19年に東京都が制作したもの。左下には「必勝食糧絶対確保」と書かれており、カボチャの栽培を推奨している。メインのコピーがめちゃめちゃ力強いのとは裏腹に小さい文字で「蒔き時は四月中旬下旬」「種子も作り方も隣組長さんにお尋ねください」と書いてあったり、さまざまな品種のカボチャをイラストで紹介してあったりで、ちょっと優しいところに何とも味がある。
一見“変な”昔の広告も時代背景を理解したうえで見ると、当時の価値観や、現代の文化に通じる“何か”を感じることができるのだ。
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