現役時代は試合後に焼酎3本→肝硬変で2か月入院…元女子プロレスラーが日常生活を取り戻すためにやったこと


 女子プロレスラーだった私は、1997年にリングを去りました。それから15年後の2012年、引退セレモニーを開くことになりました。50キロ台だった体重を、ほぼ現役当時の100キロ前後まで増やしました。

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 現役時代に左膝の靭帯を断裂した影響で、重い体では日常生活に支障をきたします。15年に膝の手術を受けることになり、そのための減量を目的に胃の9割を切除しました。これからは食べない生き方をしていこうと決めて、固形物をほぼ取らずにサプリとお水でお腹を満たしていましたが、それではエネルギーが足りません。糖質をお酒で取るようになり、朝から焼酎を何かで割らずにそのまま飲んでいました。

 現役当時は試合後に、焼酎を3本空けていました。自分はお酒に強いと、過信していたのでしょうね。どれだけ飲んでも酔えなくなっていき、身体が異変を訴えます。視界がバチバチして、耳鳴りがして、皮膚がボロボロと剥けて、髪の毛も抜け落ちて。お腹が膨らんできたので、インターネットで調べたら腹水が溜まっているとわかったのですが、仕事に穴を開けたくないので病院には行きませんでした。

 最終的には日常会話もおかしくなり、夫が膨らんだお腹に驚いて、病院へ連れていかれました。それが20年6月で、飲み過ぎによるアルコール性肝硬変と診断され、翌日から2カ月、入院しました。大腸に大量のポリープが見つかり、その切除もしました。肝硬変の影響で出血が続き、2週間ほどは口から食事が摂れずに点滴を受けていました。

 点滴から病院食へ変わってからも、すぐに固形物は食べられません。おもゆからおかゆへという流れで、消化のいいものを摂っていきました。お豆腐、卵がゆ、茶腕蒸しなどの軟らかいものから、食べていきました。並行して病院で処方されたサプリメントや、医師から許可を得たプロテインも口にしていきました。

 塩分は1日に7グラムまで、と決められています。これは今も変わりません。香味野菜や香辛料で味付けを工夫して、大根、自家栽培しているシソ、胡椒や唐辛子などを取り入れ、食べられる量を徐々に増やしていきました。

 今では1人前のお弁当ぐらいは、完食できるようになりました。レスラー当時は安いものを大量に食べ、体を大きくするという家畜のような食生活でしたが、今は体にいいものを食べる喜びを知ることができています。

 入院してお酒を断ったら、意識がどんどんハッキリしていきました。思考が冴えて、やりたい仕事や行きたい場所がどんどん湧いてきました。

 けれど、入院中は寝たきりか車いすの生活だったので、足がかなり細くなっていました。『筋トレを頑張って肝硬変から回復』という動画に刺激を受けて、普通の生活ができる程度に筋肉を取り戻すことにしました。

 スクワット、腹筋、背筋、腕立てなどの自重トレーニングを中心に、自分でメニューを考えました。プロレスで痛めた膝を安定して使えるようにするために、足の指を使ってタオルを集めるタオルギャザーも取り入れました。

 やる時間を決めると、義務感で気持ちが重くなります。「今ならできそう」というタイミングを見つけて、ちょっとずつトレーニングをしていきました。

 退院直後にゴルフへ行ったら、休みながらでしかラウンドできませんでした。けれど、今では18ホール回れます。打ちっぱなしなら300球!

 硬くなってしまった肝臓が治療しても元に戻らないことを知ったのは、退院して2年ほど経ってから。ただ、お酒が一生飲めないとわかっても、ショックはありませんでした。今はお酒のない健康な生活を楽しんでいます。

 ※本稿は、雑誌『プレジデント』(2025年5月2日号)の一部を再編集したものです。

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ブル 中野(ぶる・なかの)
元プロレスラー
1968年、東京都生まれ。83年に全日本女子プロレスに入門しデビュー。85年にリングネームを「ブル中野」に改名。97年に現役引退。2012年に引退セレモニーを開催。
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元プロレスラー ブル 中野 構成=戸塚啓 撮影=大槻純一



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