1979年の5月23日、多くの謎を残したまま、未解決に終わった殺人事件が発生した。「長岡京ワラビ採り事件」。京都府長岡京市で、ワラビ採りに山へ入った2人連れの主婦が、白昼、何者かに激しく暴行され、殺害された。山といっても標高200メートル。市の裏山といったたたずまいである。
被害女性を仮にA子さん(43)とB子さん(32)とする。遺体の状況を見ると、A子さんは男性に乱暴され、絞殺されていた。体内に残された体液の血液型はO型だった。一方のB子さんには乱暴の跡はなかったものの、性器に傷がつき、左胸には包丁が突き刺さっていた。そしてA子さんの遺体のジーパンのポケットには「オワれている たすけて下さい この男の人わるい人」とのメモが残っていた――。
主婦2名を殺め、姿をくらました「この男」とは一体、何者なのか。被害者が残した“ダイイングメッセージ”の指すものとは。
捜査線上には複数の不審者が浮かび、一人は似顔絵まで作られたものの、いずれも逮捕に至らず。1994年に時効を迎えている。「週刊新潮」は当時、現場を取材し、事件の詳細を報じている。以下、当時の記事を再録し、事件の謎に迫ってみよう。
(「週刊新潮」1979年6月14日号記事を一部編集しました。文中の年齢、役職等は当時のものです)
【前後編の前編】
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目につきにくい獣道
事件のあった山は、通称「野山」という。長岡京市の西にあって、背後は、京都と大阪をへだてる背の低い山系につながっている。この山系の南のほうには、山崎の合戦(注=豊臣秀吉と明智光秀の合戦)で有名な天王山がある。長岡京市そのものは、京都市の南にあり、京都と大阪のベッドタウンとして急膨張を続けている町だ(人口7万人)。
野山の麓に、河陽ヶ丘という新興住宅地があり、現在、そのすぐ上、野山の裾を切り開くかたちで、さらに新しい宅地の造成が行われている。その造成地を巻くように舗装道路が走って、この道は、そのまま野山の奥へ伸びて行く。
5月23日の午前11時過ぎ、この造成地のガードマンが青いナップザックを背負って山へ登って行く、A子さんとB子さんを目撃した。さらに、山のトバクチのタケノコ栽培の竹林で作業をしていた地元の夫婦が、この2人の主婦を見た。
舗装道路を麓から1キロ半ほど登ると、右手に野山の頂上に向かう山道が現れる。野山に登る道は5本あり、2人がどのコースをとって山へ入って行ったか、正確にはわからない。が、この山道を登って行くと、500メートルほどで、視界がサッと開けた場所に出る。ここには、別の方向から、もう一本の山道が入って来ている。そして、その少し上に、人目にはつきにくい問題の獣道が口を開いている。そこから20〜30メートル、木の枝を押しのけ、ツタを払いながら入って行った雑木林のどん詰まりが犯行現場である。