スポーツ界でもリスキリング(学び直し)の動きは加速している。引退後に大学や大学院に進学し、スポーツ生理学やコーチングを専門的に学び指導者を目指す者、資格の取得に励んで畑違いの道に進む者もいる。
その先駆者とも言える人物が立正大学にいる。東北楽天ゴールデンイーグルスで内野手として活躍した元プロ野球選手、西谷尚徳氏だ。リスキリングという言葉すら定着していなかった2009年、現役プロ野球選手でありながら大学院に進学するという異例のキャリアを歩み、現在は立正大学法学部教授(大学教育・教育学)を務める。「勉強することが、プロでの私の戦い方だった」。西谷氏はこう振り返る。
西谷さんはプロ野球選手だった09年、現役中に大学院進学という異例のキャリアを歩まれました。なぜ、教育学を学ぼうと思ったのでしょうか。
当時は、リスキリングなんて言葉もなく、その意識もなかったですね(笑)。私は04年、楽天球団が創設された直後のドラフトで4位指名され、楽天の1期生として入団しました。しかし、選手時代は2軍暮らしが長かったです。2軍は「ファーム」と呼ばれます。その名の通り、選手を育てる牧場であり、教育の場です。ただ、創設直後の楽天は教育システムが十分ではありませんでした。
後輩の田中マーくん(田中将大投手)のような高卒もいれば、大学や社会人を経験してプロになる人もいます。当時、若手は全員寮に入って一律のメニューを課されました。心身の成長の異なる選手たちを一律のプログラムで育てるべきなのか、という疑問が教育に興味を持ったきっかけです。
私は東京六大学の明治大学出身ですが、他も名門出身ばかり。プロになったのに、指導方法やメソッドはアマチュア時代の方が優れていました。将来的に、指導者としてセカンドキャリアを歩む際、教育に関する知識は必要になるという思いもありました。
プロ野球選手としての限界を感じていたのでしょうか。
プロ野球選手は、本当に体力のすごい人たちの集まりです。シーズン中は、火曜日から日曜日まで6連戦があります。休みの月曜日も移動日になることが多い。それを毎週、半年以上にわたって続けます。
その中で練習もする。今ではアスリートにも休養や睡眠が大切と言われますが、当時はそうではなく、非合理的なメニューも多かった。私は目の前の練習を全力でやりすぎて、翌日の試合でのパフォーマンスが落ちることもありました。疲労で食が進まず、シーズン中に10キロ以上体重が落ちることもありました。体力がなくて、1軍レギュラーにはほど遠かったのが実情です。
当時の楽天は、球界再編時の分配ドラフトを経て「寄せ集め集団」なんて言われていましたが、私から見ればそんなことはなかった。本塁打王を獲得した山崎武司さん、首位打者を獲得した鉄平さんや“安打製造機”として活躍したリック・ショートもいました。私の守るセカンドには、高須洋介さんという先輩がレギュラーにいました。
●ライバルとの差を痛感
レギュラーの先輩たちは何が違ったのでしょうか。
当時、楽天の野村克也監督には「なんでライバルと飯を食いに行くんだ?」と反対もされました。それでも、プロとして生き残るために、先輩たちがどうやって生き残っているのか知るため、先輩たちと親交を深めて助言を求めました。ある種、監督への反発かもしれませんね。