家族や友人など、大切な誰かが亡くなったあとにいつまでも悲しんでしまう人も多いだろう。だが、これまで6000人を看取ってきた高齢者専門の精神科医・和田秀樹氏によれば、「悲しみを引きずるのはバカであり、病気のリスクにもつながる」という。正しい死との向き合い方とは――。※本稿は、和田秀樹『死ぬのはこわくない――それまでひとりを楽しむ本』(興陽館)の一部を抜粋・編集したものです。
● いつまでも人の死を 悲しむ必要がない理由
長く生きれば、それだけまわりの人が亡くなっていきます。多くの死を見送ります。自分が死ぬことを想像するのと同じように、夫や妻、親、子供といった家族の誰か、友人、ペットなど、身近な関係の誰かを死という現象で亡くしてしまうことは、耐えがたい悲しみをもたらします。
これまでずっと隣にいた場所にぽっかりと穴があく。その状況に慣れず、動揺するのはよく分かります。そうなのですけれども、そんなことに怯まないでください。くじけないでください。ましてや、いつまでも悲嘆に暮れて、泣き続けるなどということは、バカのすることです。即刻やめてください。その悲しみの理由の1つは、脳内のセロトニンが減少しただけです。
隣に人がいないからまったく眠れない。食欲が全然わかない。そんな状態なら、それはもう、普通に考えてうつ病なので、我慢しないで、病院にかかるべきです。早めの診断が肝心です。ヘボな医者に当たらない限り、対象喪失型のうつ病は治ります。
一般的に、喪失体験のショックは、数カ月から1年ほどで収まるとされています。いつまでも「あの人がいれば」「あの人がいてくれたら」と考えてしまうのは、ないものねだりに他なりません。
現実を受け入れて、新しい世界を生きていく覚悟を決めましょう。
どうせ、人間は必ず死ぬんです。みんな死ぬんだからあきらめることも肝心です。みじめに置いてけぼりにされた。ひとり遺されたなどと考える必要はありません。開き直ることも重要だと思います。
こう考えてください。ひとりになったということは、思い通りの人生が歩めるということです。解放されたといってもいいでしょう。清々した。そう感じる人もいるくらいです。ひとりを恐れる必要はないと、考えかたを変えてしまうのです。
自分を束縛するものからどんどん抜け出して、自由に生きる。嫌なこと、我慢しなければいけないことはもう何もないと考えると、気持ちに余裕が生まれて、楽になります。楽になると、ひとりぼっちが気にならなくなるのです。
これからは、やっと自分のために生きられるようになったのです。人間にとってこれほどの幸せはありません。
● 喪失に立ち向かうため 大切なこと
大切な人が亡くなったとき、心にぽっかり穴があいたような喪失感が生まれます。
喪失体験には急性期と慢性期があります。四十九日までは、心が落ち着かず、悲しみに暮れてしまうのは仕方がないことです。それでも、ほとんどの人は立ち直っていきます。
私が現時点で診ている女性の患者さんの話をしましょう。もともと老人性のうつ(編集部注:65歳以上の高齢者が発症するうつ病)のある方でしたが、夫を亡くしてしまってから、状態が非常に悪くなってしまいました。
さすがの私も「これ、本当によくなるのかな」、そんな不安が胸をよぎるほどだったので、どれほどひどい状態だったのか、お察しください。
女性は、まったく何もしなくなり、外にも1歩も出られなくなってしまいました。それでも、きちんと薬を出し、生活のアドバイスを続けていたら、あるとき、霧が晴れたかのように、急によくなったのです。
今は、二世帯住宅にするため、家を建て替えたり、旅行を楽しんだりしています。夫を亡くす前より元気な状態だといえます。これが現実です。
人が死を受け入れるまでには、否認→怒り→取引→抑うつ→受容という5つの心理的段階を踏むといわれています。インターネットなどで調べると、こう書かれていることでしょう。概ね、この通りです。
しかし、だからといって、悲しみに備えてびくびくと策を練るようなことは、私は必要ないと思っています。