秋田県産のブランド米「あきたこまち」から食品衛生法で定める基準値を超えるカドミウムが検出され、数百トンにおよぶコメが廃棄処分となった。
昨年から始まったコメ不足により価格が前年比で2倍以上という前代未聞のレベルまで高騰している中、基準値を超えたコメを正常なコメと混ぜてカドミウム濃度を下げれば安全であり、コメの供給に役立つのではないかという声もある。いわゆる希釈によるリスク管理である。
しかし食品衛生法第6条は危害物質を含む食品は、販売・流通してはならないと定め、基準値を超過する食品が含まれていた時点で、その混合食品も基準不適合と判断される。例えば農薬やカビ毒で汚染した事故米を通常の米と混ぜて販売した2008年の三笠フーズ事件では、最終的に基準値以下の安全なコメでも違法とされ、厳しい処分が科された。
他方、福島第一原発で発生したトリチウムを含む処理水は大量の海水で希釈され、飲料水基準より大幅に低くした上で海洋に放出されている。これは国際原子力機関(IAEA)の監視のもとで安全性と国際基準への適合が確認されているとして容認されている。
カドミウムやトリチウムを含むすべての化学物質が人体に与える影響は、用量反応関係の原則で決まる。例えば食塩(NaCl)を一度に200グラム(g)摂取すれば死ぬ。毎日20g以上を継続して摂取すれば高血圧、脳梗塞、心筋梗塞のリスクが高まるが、1日数gであれば、一生の間毎日摂取しても健康被害はない。量と摂取期間が作用を決めるのだ。
この原則に立てば、カドミウムの基準値を超えるコメであっても、それを正常なコメと混合することで基準以下になれば、科学的には安全である。同じ希釈によるリスク低減の考え方が処理水では許容されるにもかかわらず、カドミウム米では否定されている。この差の原因は何だろうか?
食品では希釈が許されない理由
処理水で希釈が認められたのは、安全の確保と信頼醸成が一体となって、社会に受け入れられたからである。プロダクト主義の観点からは、トリチウム濃度を規制基準以下にまで希釈することで、客観的な安全を確保している。しかし、それだけでは安心は得られない。
そこで、計画段階からの情報公開、地域住民や関係者との対話、IAEAなど第三者機関による客観的なレビュー、継続的なモニタリングと結果公表など、一連の透明性の高いプロセスを通じて、社会的な疑念や不安に答え、信頼を得ようと努めた。安全確保と信頼醸成の組み合わせによって、漁業関係者の完全な合意は得られなかったが一定の理解を得ることができた。
科学的に安全を確保できる希釈が食品で禁じられている理由は、それが信頼を損なう行為と見なされるからだ。食品では、作られたプロセスに対する信頼が安心を得るための大きな要素となる。ここには私たちの空想力が影響している。
基準値を超えた食品を希釈する行為は、たとえ結果的に安全になったとしても、作り手の倫理観や誠実さに対する疑念を生じさせる。違反を隠すための操作ではないか、品質管理を怠っているのではないかなどの不信感であり、安全という言葉が信頼できなくなる。プロセスに対する空想力が不安を増幅させてしまうのだ。
他方、様々な処理を行うことで有毒な食品を食用にすることが法律上認められているという事実もある。例えば、フグ、ジャガイモ、大豆などは有毒性が広く知られている。そして除毒や加熱などのプロセスで安全性を向上する措置が社会的に受け入れられている。
カドミウムもまた自然由来なのだから、これらと同様の考え方で、希釈で安全にするプロセスを容認してもいいのではないかという疑問がわく。フグの処理は許容し、カドミウム米の希釈を禁止することは法的に矛盾しているように見える。しかし、社会的な信頼を維持し、消費者を保護するという法の目的から見れば一貫性はあると考えられている。
それは、フグの除毒、大豆の加熱、HACCPに基づく工程管理など、安全のための確立されたプロセスは認めるが、カドミウム米の希釈のように基準違反を隠蔽するプロセスは認めないという考え方だ。
つまり法律はプロダクトの安全を最終目標としつつ、その達成手段としてのプロセスが社会的な信頼に足るものかを問題にしている。そしてカドミウム米の希釈は、たとえその原因が自然由来であっても、現状では信頼に足るプロセスを経ていないと判断されているのだ。