高齢化が進む社会で、多くの人が直面する可能性のある「ボケ」。これを単に否定的に捉えるのではなく、作家・五木寛之氏は老いや心身の衰えを受け入れ、どのように生きるかという視点の重要性を説いています。本稿では、五木氏が提案する、いわゆる「ボケる」ことへの新たな価値観と、より良い向き合い方を探ります。
「ボケ」とは? 多様な様相と新しい視点
「ボケ」には穏やかなイメージがある一方、荒々しいケースも存在し、介護家族の悲惨な話も聞かれます。確かに悲惨さは一面ですが、ボケをどす黒いものとだけ捉えるのは単純です。五木氏は「ボケ」を「意識のフォーカス」として捉え直す視点を提示します。フォーカスは撮影テクニックで、見せたい部分を際立たせます。ボケは、本人にとって大事なことに意識が集中し、それ以外のことがうまくいかなくなる状態。これは行動の取捨選択基準が変わった結果であり、本人の意識はフォーカスしているのに、周りは「ピンボケ」と感じる――ボケとはそういう状態ではないか、と洞察します。
作家 五木寛之氏、老いとボケに関する考察
価値観の転換:「ボケ」を人生の自然な流れとして捉える
五木氏は、年を重ねることで脳活動が縮小し、必要なものをクローズアップし不要なものをカットする意識変化が起こり、その過程に「ボケ」があると考えます。「ボケ」を異常ではなく、人生の自然な流れと捉えるべきだと主張し、そのためには価値観の切り替えが必要だと説きます。ボケを絶対的なマイナスとせず、「♪明るいボケに暗いボケ…」のように軽妙に捉えることを提案。さらに「ボケ」は老いていく中での一種の「防御のスタイル」であり、意識が重要なものに集中する働きかもしれないと示唆します。信仰心がストッパーになる可能性も希望として挙げます。
「ボケの効用」と必要な「技法」
五木氏は「ボケる」ことにプラス側面、いわゆる「ボケの効用」は無いのかと問い、『東大教授、若年性アルツハイマーになる』を例に「ボケる力」の存在を示唆します。このように「ボケ」を価値あるものと捉えるなら、問題はマイナス面をどうカバーするかという「技法」に集約されると考え、自身が行う「ボケの技法」を紹介することを示唆します。これは、ボケを恐れず向き合い、より良く生きるヒントとなるでしょう。
五木寛之氏の考察は、「ボケ」を否定せず、人生の自然な一部として受け入れ、新たな価値観で向き合う重要性を説きます。意識のフォーカスとしての側面や潜在的な効用、そしてマイナス面を補う技法の探求は、多くの人にとって「よりよくボケる」ための示唆に富む視点を提供します。
参考文献:
- 五木寛之『遊行期 オレたちはどうボケるか』(朝日新聞出版社)
- Yahoo!ニュース (ダイヤモンド・オンラインより転載) https://news.yahoo.co.jp/articles/2e2550b09c38b6ef7cd4c19abd3a3dca6714209a
- 若井克子『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(講談社)