NHK連続テレビ小説『あんぱん』は、6月9日放送の第51話で描かれた軍隊生活の描写が、視聴者の間で大きな波紋を呼んでいる。主人公の一人である柳井崇(北村匠海)が、高知連隊から福岡の小倉連隊に転属し、そこで体験する理不尽な暴力の数々が詳細に描かれたためだ。これまでとは一変した重苦しい雰囲気に、多くの視聴者が困惑や反発の声を上げている。
エスカレートする理不尽な制裁
第51話では、起床ラッパと共に始まる厳しい日々の訓練や規律に加え、先輩兵士による新兵への「かわいがり」が克明に映し出された。崇は先輩兵士の馬場力(板橋駿谷)に目をつけられ、次々と理不尽なビンタを浴びせられる。最初の理由は「地方語は使うな!軍隊では軍隊語を使え!」というもの。さらに、井伏鱒二の詩集を持っていたという理由で再び殴打される。夕食の配膳では、カレーライスのジャガイモの個数が違うだけで平手打ちを受ける始末だ。
班長の神野万蔵(奥野瑛太)から、新兵の要領が悪いために八つ当たりで鉄拳制裁を受けた馬場らは、その腹いせに崇が甲田鉄(萩原亮介)の戦闘帽を盗んだという濡れ衣を着せ、さらなるビンタを加える。これらの描写は、当時の軍隊内部における権力勾配と、それに基づく暴力が日常的であった現実を示している。
朝ドラ「あんぱん」主演の今田美桜と北村匠海
視聴者からの戸惑いと反発
これまで比較的穏やかな雰囲気で進んでいた『あんぱん』の物語が、突然このような暴力的な展開を見せたことで、インターネット上には視聴者の困惑した声があふれた。「早く軍隊時代を終わってくれ、朝ドラが嫌いになりそうです」「朝ドラでここまでエグい描写は見たことない」「理不尽だらけでキツい」といった声が多く散見され、なかには「あんぱん、離脱しそう…」と視聴継続をためらう声も見られた。
一方で、「朝ドラで陸軍内務班の新兵『かわいがり』をこれだけ描いたのは初めてでは」といった指摘もあり、軍生活の現実をかなり踏み込んで描いている点に注目する意見もある。親子で視聴している家庭にとっては、特に衝撃的な内容であった可能性も指摘されている。
やなせたかしの戦争体験と作品へのつながり
しかし、これらの暴力シーンには物語上重要な意味がある。崇のモデルである漫画家・やなせたかしが、国民的キャラクターである『アンパンマン』を生み出すに至った大切な原点が、この軍隊での体験に隠されているからだ。やなせは生前、正義のヒーローについて「戦いに勝つことではなく、ひもじい者に食べ物を与えることだ」という持論を持っていた。この思想は、彼自身が経験した血で血を争う不毛な戦争体験から得られた深い教訓に基づいていると言われている。
脚本を手がける中園ミホ氏も、「やなせさんを描くということは、戦争を描くということだと思っている」と明言しており、戦時中の出来事に脚本のかなりの分量を割く意向を示唆している。
戦後80年という節目の年に放送されている『あんぱん』は、単なる成功物語としてではなく、やなせたかしという一人の人間が、戦争という極限状況を経ていかにして独自の「正義」の概念を持つに至ったのかを描こうとしている。これから物語がどのように戦争の現実と向き合っていくのか、その描写に注目が集まる。
参考