「人に聞く必要はない。AIに聞けば何でも答えてくれる」――そんな現代社会において、職場や日常生活で「人に聞かない」傾向が強まり、新たなコミュニケーションの格差が生まれつつあります。筆者が先日経験したある出来事は、この潜在的な問題を浮き彫りにしました。しゃぶしゃぶ店で、見慣れない葉物野菜について若いアルバイト従業員に尋ねた際、彼は「わかりません」とも言わず、ただ沈黙し、他のスタッフに聞こうともしませんでした。やむを得ず別の従業員に尋ねるとすぐに答えが返ってきたものの、この若者の反応は深く心に残りました。
「質問しない」行動の背景にあるもの
なぜ彼は、簡単な質問に答えることも、他の人に助けを求めることもためらったのでしょうか。この沈黙は、今日の職場に広がる「人に聞かない」心理を象徴していると言えるでしょう。この現象の背後には、デジタル技術の急速な進化と普及が大きく影響しています。
情報検索の進化がもたらす変容
かつては「ググる」と称された検索エンジンの利用が一般的でしたが、近年ではリンクを開かずとも答えが表示される「ゼロクリック検索」が普及し、さらにAI(人工知能)が質問に対して最適な要約を会話形式で直接返す「AIモード」が台頭しています。これにより、人々は他者に質問することなく、瞬時に情報を得られる環境が定着しました。このような状況は、人間関係を構築し、コミュニケーションスキルを磨く機会を奪っている可能性があります。
AI普及により「人に聞かない」傾向が強まる現代社会の象徴
認知スキルと社会的スキルの喪失
人に質問するという行為には、質問を正確に言語化する「認知スキル」と、相手の表情や状況を読み取り、適切なタイミングで質問する「社会的スキル」が不可欠です。これらのスキルは、実践と経験を通じて初めて習得されるものです。しかし、パソコンやスマートフォンがあれば簡単に情報を入手できるようになったことで、デジタル・ネイティブ世代の一部は、他者との対話を「リスク」と見なしたり、新たな人間関係を築く機会として捉えられなくなったりしています。これは、人間関係の希薄化にも繋がりかねません。
若者の「聞くこと」に対する心理的抵抗
「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」という古くからのことわざは、もはや現代の若者には通用しないかもしれません。彼らにとって、聞くことは単なる「恥」ではなく、「面倒で避けたい行為」へと変化しています。質問すること自体が億劫である上に、「無知だと思われるのではないか」という妙なプライドが邪魔をし、心理的な抵抗感から沈黙を選んでしまうのです。この心理的障壁は、職場での生産性やチームワークにも悪影響を及ぼす可能性があります。
職場コミュニケーションへの影響と今後の課題
このような「人に聞かない」傾向が職場に及ぼす影響は深刻です。情報共有の滞りや誤解の発生、問題解決の遅延など、多くの課題が生じる可能性があります。特に、経験の浅い従業員が質問をためらうことで、成長の機会を失い、業務の習熟が遅れることも懸念されます。企業は、AIの利便性を享受しつつも、従業員が安心して質問できる心理的安全性の高い環境を整備し、人間らしいコミュニケーションの価値を再認識させる必要があります。
結論
AIと検索エンジンの普及は私たちの生活を豊かにしましたが、その一方で「人に聞く」という基本的なコミュニケーション行動に新たな課題をもたらしました。デジタルツールに依存しすぎることなく、質問を通じて人間関係を築き、互いに学び合う社会の重要性は、これまで以上に高まっています。この「聞かない世代」の出現は、現代社会が直面するコミュニケーション格差への対応を私たちに強く問いかけています。




