自己嫌悪で悩んだらどうすればいいか。芸術家の岡本太郎さんは自著『自分の中に毒を持て〈新装版〉』(青春文庫)のなかで「自分を無の存在と考えるか、あるいはそんな自分自身を対決の相手として徹底的に闘ってやろうと決めるか、どっちかだ」という――。
■平気でいれば内向性がひらく
自分は内向的な性格で、うまく話もできないし、友人もできないと悩んでいる人が多い。
だが、内向的であることは決して悪いことではない。そう思い込んでこだわっているから暗くなり、余計、内向的にしているんじゃないだろうか。内向的ということをマイナスと考えたり、恥じちゃいけない。
生きるということを真剣に考えれば、人間は内向的にならざるを得ないのだ。
また逆に、自分が内向的なために、かえって外に突き出してくる人もいる。だから内向的であると同時に外向的であるわけだ。これがほんとうに人間的な人間なのだ。
歴史的に見て、英雄とか巨(おお)きな仕事をした人は、みんな内向性と外向性を強烈に活かしている。
たとえば、もって生まれた性格は、たとえ不便でも、かけがえのないその人のアイデンティティなんだから、内向性なら自分は内向性なんだと、平気でいればいい。内向性の性格は悪いことだと思っているから、ますます内向的になってしまう。
動物を見てもわかるだろう、動物に内向性の動物はいない。
人間だから、誰でもが内向性を持っているんだ。いくら派手に見える人間だって内向性を持っている。内向性で結構だと思えば、逆に内向性がひらいていく。
■弱い人間が強くなる道とは
内気な人の表現力が、派手にチャカチャカふるまう人より強い印象を与えることもある。
口べタの説得力ってものもある。平気でやれば、逆にひろがる精神状況が生まれてくる。
自分は消極的で気が弱い、何とか強くなりたいと思う人は、今さら性格を変えようなんて変な努力をしてもむずかしい。
強い性格の人間になりたかったら、自分がおとなしいということを気にしないこと――それが結果的には強くなる道につながる。
強くなろうと思えば思うほど余計、コンプレックスを持つだろう。
また、もともとおとなしい性格なのだから、急に強くなるわけもないし、強くなろうと力めば、わざとらしいふるまいになって、かえって周囲の失笑をかうことになる。
だからそんなことをやったら逆効果になってしまう。
それよりも、自分は気が弱い、怒れない人間だと、むしろ腹を決めてしまうほうが、ゆったりして、人からその存在が逆に重く見えてくるかもしれない。
もっと極端なことを言えば、強くならなくていいんだと思って、ありのままの姿勢を貫いていけば、それが強さになると思う。
静かな人間でそのまま押し通すことが、逆に認められるし、信用されるということは十分あり得る。