イランとイスラエル、なぜこれほど敵対するのか? 対立の歴史と背景

中東地域で続くイランとイスラエルの紛争は、現在も拡大の一途をたどり、その収束は見通せない状況です。軍事大国イスラエルと激しい応酬を続けるイランは、一体どのような国なのでしょうか。そして、なぜイスラエルはイランを敵視するのでしょうか。この記事では、イランとイスラエルの対立の根深い歴史と背景、そして最新の情勢について掘り下げて解説します。

イランとはどんな国か:中東の地域大国としての位置づけ

イランはしばしば「唯一のイスラム教シーア派国家」「中東の地域大国」と形容されます。国土面積は約163万平方キロメートルでイスラエルの74倍、人口は約9150万人と9.3倍に及びます。原油の確認埋蔵量で世界第4位、天然ガスでは第2位を誇る豊富な天然資源を持つ国です。人口の大半をシーア派イスラム教徒が占め、女性にヘジャブ(髪を覆うスカーフ)の着用を義務付けるなど、イスラム的な保守的文化が色濃く根付いています。

かつてイランはアメリカと友好的な親米国家でした。アメリカの支援を受けたパーレビ国王は1960年代に「白色革命」を推進し、脱イスラム化を図りました。この時期は欧米文化の影響を強く受け、テヘランの街をミニスカート姿の女性が歩いていたという話もあるほどです。

しかし、この国のあり方は1979年のイラン・イスラム革命によって大きく転換しました。聖地コムでの反政府暴動をきっかけに革命は全国に波及し、王制が崩壊。シーア派の最高指導者であるホメイニ師が初代最高指導者に就任し、保守的なイスラム体制が確立されていったのです。

独自の統治体制と反米・反イスラエルへの転換

イスラム革命後のイランの統治体制は独特です。選挙によって大統領や国会議員が選出されますが、内政、軍事、外交に関する最終的な決定権は聖職者である最高指導者に集中しています。現在この地位にあるのはハメネイ師です。また、国軍とは別に最高指導者の直轄部隊である革命防衛隊が組織されており、イスラエルへの攻撃においても重要な役割を担っています。

革命以降、イランは急速に反米色を強めました。1979年にはテヘランの米大使館が学生らによって占拠され、大使館員が444日間にわたり人質となる事件が発生しています。

イランのテヘラン大学の壁に描かれた初代最高指導者ホメイニ師と現最高指導者ハメネイ師の肖像イランのテヘラン大学の壁に描かれた初代最高指導者ホメイニ師と現最高指導者ハメネイ師の肖像

イスラム国家として、パレスチナを占領し続けるイスラエルへの敵意も同時に強まりました。現在の最高指導者ハメネイ師も、繰り返しイスラエルを強く非難する発言を行っています。

イスラエルがイランを敵視する理由:核開発とミサイルの脅威

イスラエルが今回、イランへの直接攻撃に踏み切った背景には、長年にわたり敵対姿勢を示してきたイランの脅威が近年特に高まっているという判断があります。イランは1980年代から秘密裏に核開発を本格化させてきたとされています。イラン側は「平和目的」だと主張も、核兵器保有国以外では唯一、濃縮度60%という高濃縮ウランを製造し、核兵器取得が時間の問題であるという見方も出ていました。

また、イランはイスラエルへの抑止力として、ミサイル開発にも力を入れています。イスラエルは世界最高レベルの防空システムを備えていますが、最近のイランによる報復攻撃では、少なくとも30発のミサイルがイスラエル国内に着弾しています。核兵器を持つ敵対国イランの存在は、イスラエルにとって国家の存続そのものが常に危機に瀕することを意味します。イスラエルのネタニヤフ首相は、最近の声明で「間もなく(イランの)ミサイルは核弾頭を搭載できるようになり、数十万人の命を脅かす。イランは3年以内に1万発のミサイルを製造しようとしている」と述べ、自国の先制攻撃を正当化しています。

「抵抗の枢軸」を通じた地域への影響力拡大

イラン指導部は近年、中東各国の親イラン武装組織への育成支援や武器供与を続け、地域における影響力を拡大してきました。これらの組織によるネットワークはイスラエルを取り囲むように構築され、「抵抗の枢軸」と呼ばれています。パレスチナ自治区ガザ地区のイスラム組織ハマスも、このネットワークの一角を成しています。イスラエルは隣接地域でのイランの影響力拡大を看過できません。実際、2023年10月にはハマスがイスラエルへ越境攻撃を仕掛け、大規模な被害が発生しました。

なぜこのタイミングで直接攻撃に踏み切ったのか?

ガザ地区での戦闘でイスラエルはハマスの弱体化を図り、その勢いを保ったまま、「抵抗の枢軸」の主要組織であるレバノンのヒズボラへも攻勢を強めました。シリアにおいても昨年12月、イランが後ろ盾となっていたアサド政権が事実上崩壊するなど、近隣国におけるイランの影響力、ひいてはイスラエルへの反撃能力は着実に減退しているとの見方が広がっていました。

イスラエルがこのタイミングでイラン本土への攻撃に踏み切ったのは、近隣国での掃討作戦によって、イラン側の直接的な反撃能力を十分に削いだと判断したことが大きな背景にあるとみられています。

収束が見えない対立の行方

イランとイスラエルの敵対関係は、イスラム革命以降の歴史的経緯、イランの核・ミサイル開発、そして地域における影響力拡大戦略など、複数の要因が複雑に絡み合っています。特にイスラエルにとっては、イランの軍事力の増強と、周辺国における「抵抗の枢軸」を通じた活動が、自国の安全保障に対する直接的な脅威と映っています。近隣の親イラン勢力の弱体化を機にイスラエルがイラン本体への直接攻撃に踏み切ったことは、両国間の対立が新たな段階に入ったことを示しており、その収束への道は依然として見通せない状況です。

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