セダンはなぜ「成功の象徴」から衰退したのか?静かに始まる逆襲の兆し

「いつかはクラウン」──このフレーズは単なる自動車のキャッチコピーを超え、戦後日本の高度経済成長期における多くの人々の憧れであり、成功への明確な目標でした。1960年代、家庭に普及し始めたカラーテレビの画面に映る、銀座を颯爽と走る「白いクラウン」。それを見つめる家族の目に宿ったのは、「いつかあのクルマに乗りたい」という強い願望でした。クラウンを所有することは、当時の日本人にとって紛れもない成功の証だったのです。

セダンは、日本だけでなく世界の多くの国々で人々の生活や夢を変えてきました。戦後のアメリカでは、シボレー・ベルエアやフォード・クラウンビクトリアなどが「アメリカンドリーム」を体現し、広大なハイウェイを駆け抜けました。欧州では、メルセデス・ベンツSクラスが権威と地位の象徴となり、ジャガーやシトロエンといったブランドは独自の美意識とステータスを示しました。フォーマルで端正なセダンの佇まいは、まるで仕立ての良いスーツのように、持ち主の品格や社会的地位を表現していたのです。

中国やアジアの新興国においても、経済が発展するにつれて、多くの人々がまず目標としたのがセダンでした。特に後席の広さは「成功者の車」としてのイメージを決定づけ、多くの人がその一台を手に入れるために努力を重ねました。セダンがこれほど世界中で愛された理由は何でしょうか。それは、その美しいデザイン、威厳ある存在感、そして人生の重要な節目を飾るにふさわしい特別なオーラがあったからでしょう。エンジン、キャビン、トランクが独立した「3ボックス」デザインは、安定した乗り心地とバランスの取れたプロポーションを実現し、家族に快適な移動空間を、荷物には十分な積載スペースを提供することで、人々の暮らしを豊かに彩ってきたのです。

それほどまでに人々に夢を与え、社会の象徴であったセダンの時代は、なぜ静かに終わりに向かっているのでしょうか?そして、SUVが市場を席巻する現代において、なぜ「セダン2.0」とも呼べる新しいセダンが登場し始めているのでしょうか?

高度経済成長期の日本において、成功の象徴として広く認識された3代目トヨタ・クラウン(白いボディ)高度経済成長期の日本において、成功の象徴として広く認識された3代目トヨタ・クラウン(白いボディ)

「スペパ」で後れを取ったセダン

セダンの地位が揺らぎ始めた背景には、空間効率、すなわちスペースパフォーマンス(スペパ)の限界があったことが無視できません。前述の通り、セダンはエンジン、キャビン、トランクが明確に分かれた3ボックス構造を採用しています。この設計は、静粛性や居住性を高める一方で、後席や荷室の空間が手狭に感じられるというユーザーも少なくありませんでした。

こうした中で脚光を浴びたのがステーションワゴンです。日本では1989年にスバル・レガシィツーリングワゴンが登場し、その後の流れを決定づけました。流麗なデザイン、優れた高速走行性能、悪路にも強いフルタイム4WD、そして大容量のラゲッジスペース──「自分の趣味も、家族サービスも妥協しない」という、新しいライフスタイルを提案するコンセプトは、都市と郊外の垣根を越えて広く浸透しました。レガシィは、アウトドアやスポーツを積極的に楽しむ若い家族層から圧倒的な支持を集め、ワゴンは日常使いとレジャー、実用性と趣味性を両立させる新しい車のあり方として定着しました。

また、住宅事情や家族構成がさらに多様化するにつれて、ミニバンも急速に台頭します。日本では、バブル崩壊後の1990年代初頭にトヨタ・エスティマが登場し、「天才タマゴ」として話題を集めました。その後もホンダ・オデッセイ、日産・エルグランドなどが続き、「家族全員がゆったりと快適に過ごせる大空間」「リビングごと移動するような感覚」が、新しい家族の幸福の形として多くの人々に受け入れられていきます。さらに、トヨタ・アルファードやヴェルファイアに代表される高級志向のミニバンが登場すると、かつて高級セダンが担っていた豊かさや家族の誇りといったイメージまでもが、ミニバンによって表現されるようになっていったのです。

このように、ステーションワゴンやミニバンは、セダンだけでは満たせなかった現代の多様なライフスタイルやニーズに応え、進化を続けました。結果として、セダンは「スペパ=空間効率」という、より現実的で合理的な価値観を重視するユーザー層において、ワゴンやミニバンに主役の座を譲ることとなったのです。

「格付けされたくない」という心理

ステーションワゴンやミニバンが広く支持を集めるようになった背景には、単に空間効率や積載性が高いといった合理的な理由だけでなく、別の重要な要因がありました。それは、セダンが長年担ってきたヒエラルキー、つまり社会的な「格付け」から自由になりたいという消費者心理が強く働いた点です。

セダンは良くも悪くも、その車種やグレードによって所有者の社会的地位や経済力を示唆する傾向がありました。「いつかはクラウン」のような明確な目標であった時代がある一方、人々は時にそうした他者からの評価や固定化されたイメージから解放されたいと願うようになります。ワゴンやミニバンは、セダンほど明確な「格付け」のイメージがなく、より多様な人が多様な目的で使う車として認識されました。これにより、ユーザーは「自分のため」「家族のため」「趣味のため」といった、より個人的で自由な価値観に基づいて車を選びやすくなったのです。これは、画一的な成功の形から多様な価値観が重視される時代への変化を映し出しています。

しかし、近年になり、セダンはその本質的な価値──美しいデザイン、優れた走行安定性、快適な乗り心地、そして固有のステータス性──が見直され始めています。合理性や実用性一辺倒ではなく、車に再び感性や情緒的な価値を求める層が現れ、「セダンでなければ得られない体験」に惹かれる人が増えています。これは単なる過去への回帰ではなく、デザインや技術の進化によって、現代のニーズに応える「新しいセダン」として生まれ変わりつつある証拠と言えるでしょう。静かに始まったセダンの「逆襲」は、車の多様化が進む現代において、その存在感を再び高めていく可能性を秘めています。


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