近年、人の生活圏におけるクマの出没が増加し、深刻な被害をもたらしています。2023年度には全国で219件もの人身被害が報告され、これは過去最多の記録となりました。こうした状況を受け、被害を防ぐための主要な対策としてクマの駆除が行われており、2025年4月には発砲要件を緩和する「改正鳥獣保護法案」が成立しました。
しかし、クマの駆除に対しては反対の声も少なくありません。スーパーに侵入したクマを駆除した秋田県には、抗議の電話が相次ぎました。2024年12月の秋田県議会では、当時の佐竹敬久知事が、駆除反対の電話に対して「『お前の所に今(クマを)送るから、住所を送れ』と言う」と答弁し、SNSなどで議論を呼びました。
クマへの向き合い方について社会的な対立が見られる中、「人の安全確保」と「野生動物であるクマを絶滅させない」という二つの目標の両立を図り、「第3の道」を模索・実践している団体が存在します。時事通信社写真部が、その団体の夜間の活動に密着しました。
秋田県鹿角市で自動撮影カメラが捉えたクマ。過去最多の被害が報告される現状を示す。
ベアドッグによる「追い払い」の現場
午前3時、ハンドラーの井村潤太さん(30)は、ベアドッグ「エルフ」と共に薄暗い山へと分け入りました。ベアドッグは一度クマの匂いを嗅ぎつけると、ハンドラーを引っ張るように追跡を開始します。
アンッ、アンッ、アンッ―。朝の気配が始まる午前4時、山中に犬の大きな吠え声が響き渡りました。息継ぎをしているのか分からないほど、緊迫感のある連続した声量です。その吠え声に注意を奪われていると、1頭のツキノワグマがおよそ60メートル先の茂みから姿を現しました。クマは素早く道路を横切り、山奥の方へ去っていきました。
これは、豊かな自然と観光地が近接する長野県軽井沢町で、未明に行われているクマの「追い払い」活動の一場面です。
カレリアン・ベアドッグとは
この追い払い活動で中心的な役割を担うのが「カレリアン・ベアドッグ」です。フィンランド原産の大型犬で、「生粋の猟犬」と評されています。この犬種は、優れた嗅覚と聴覚でクマを追跡する能力に長けており、さらに他の犬に比べて非常に大きな吠え声を出せるという特徴があります。運動量も非常に多いため、一般的な家庭でのペットとしては不向きです。
ハンドラーは、「ファインダベア(クマを探せ)」「バーク(吠えろ)」といった英語の指示のほか、自身の声、花火、クマよけの鈴などを組み合わせながら、クマに対して積極的にアプローチします。この目的は、「人間に近づくと危険だ」ということをクマに学習させることにあります。クマは学習能力が高いため、繰り返し追い払いを受けることで、人の生活圏を「居てはいけない場所」として認識するようになります。ベアドッグはクマに対して一定の距離を保ち、直接襲い掛かることはありません。そのため、クマと犬、双方を傷つけることなく追い払いを行うことが可能です。
共存への可能性
このように、カレリアン・ベアドッグを用いた追い払い活動は、増加するクマの被害に対し、駆除だけに頼らない新たな選択肢として注目されています。人の安全を守りつつ、野生動物であるクマとの非致死的な方法での距離の取り方を模索するこの取り組みは、人間とクマの共存という難しい課題に対する「第3の道」の可能性を示唆しています。被害の現状と対策が議論される中で、こうした学習追い払いの手法が、今後どのように展開していくのかが注目されます。