日本を訪れる、あるいは日本に住む一部の中国人の間で、「日本人は英語が苦手だから、英語を使えば交渉や議論で優位に立てる」「中国語や日本語よりも英語を話した方が尊敬される」「トラブルの際は、英語を使えば有利になる」と考える人が増えているという現象が見られます。これは単なる言語能力の問題ではなく、中国の文化や社会的な背景に根差した、ある種の価値観や意識が反映されていると考えられます。
日本で言葉を交わす日本人と中国人のイメージ。英語でのコミュニケーションや文化的な違いを示唆。
「英語=力」という価値観
日本にいる中国人の中には、英語を使うことで相手(日本人)の態度が変わる、接客やサービスが向上すると信じている人が少なからず存在します。特にトラブルに巻き込まれた際に英語で対応すれば、日本人が委縮して反論できなくなると認識しているケースすらあります。これは、「英語が持つ力」あるいは「英語を使うことで得られる優位性」という価値観に基づいています。彼らが日本人よりも実際に英語力が高いかどうかという点よりも、そう信じている層が存在し、その行動原理となっていることが重要です。
中国SNSでの事例:バイオリン弓破損のケース
最近、中国のSNSで広く拡散され、議論を呼んだ動画があります。投稿者は上海出身で東京在住の女性です。彼女の息子が参加する都内の楽団の練習中、日本人の子どもが誤って彼女の息子の高価なバイオリンの弓を壊してしまったという出来事でした。
その弓は30万円もするものでした。女性は、壊れた経緯と損害について相手の両親に伝える際、最初から最後まで英語で対応したと述べています。30万円という価格を伝えた際、相手の両親は明らかに驚き、表情を変えたと言います。その後、弓を購入した楽器店に同行してもらい、購入時期や価格について店側から証明を得た結果、全額の賠償を受けたと報告しています。動画の中でこの女性は、「もし日本語で交渉していたら、相手は簡単には応じなかっただろう。英語で話したからこそ、相手は自身の立場が不利であることを認め、素直になったのだ」と語り、日本人は英語に苦手意識があるため、交渉においては英語が圧倒的に有利であると断言しています。
他の事例と「精神的優位」への欲求
「英語で日本人を打ち負かせる」「英語を使えば精神的に優位に立てる」といった主張は、中国のSNSでしばしば見られます。例えば、あるビジネス系カレッジに通うという男性(自称博士)も、同様の経験談を動画で語り、話題となりました。彼は、日本に来て日本語を熱心に勉強しても日本人から尊敬されることはなかったが、会う相手に最初に英語で話しかけるようにしたところ、皆「I am sorry, my English is very poor」と言って委縮するようになり、これこそが「差別化」であり、優位に立つ方法だと自慢げに語っていました。
また、日本国内でもSNSで物議を醸した事例があります。数人の中国人観光客が日本の焼肉店で英語で注文しようとするも、なかなか店員に通じず、その様子を嘲笑する内容の動画でした。他にも、日本旅行の経験談として「下手な日本語より英語の方が日本人に確実に一目置かれる」「日本人は欧米文化に憧れがあり、英語の発音にコンプレックスがあるからだ」といった類の投稿が散見されます。
これらの言動の根底にあるのは、単に英語ができることの優位性だけでなく、「英語を使うことで相手より精神的に上位に立ちたい」「マウントを取りたい」という欲求です。そして、この欲求は、中国社会に深く根差す「上下意識」に起因していると考えられます。
中国社会における「上下意識」と「差をつける文化」
中国の教育制度では、都市部を中心に比較的早い段階から英語教育が導入されてきました。現在では多くの地域で小学1年生から英語が必修となっており、若い世代を中心に英語力を持つ人が増えています。加えて、語学教育、特に英語教育に力を入れる家庭が多く、「英語力=教養や知性の象徴」と見なされる傾向も少なくありません。
しかし、先述の動画や事例に見られるような態度は、単なる高い英語能力の誇示ではなく、「英語を武器として他者をコントロールし、自分自身が優位な立場に立ちたい」という心理の表れです。このような思考様式は、日本人に対してだけ向けられるものではなく、中国社会そのものに根差した「差をつける文化」と無縁ではありません。肩書、収入、学歴、子どもの成績など、あらゆる側面で他者と自身を比較し、常に自分が劣っていないこと、あるいは優位であることを確認しようとする競争が激しい社会で育った結果、人との間に優劣をつけ、自身の立場を確立しようとする意識が強くなる傾向があります。それが、海を越えて日本に来ても現れているというわけです。